- 1970年フランス映画 6/10シネ・ヴィヴィン・六本木
- 監督:フィリップ・ガレル
- 音楽:ニコ
- 出演:ニコ/ピエール・クレマンティ/フィリップ・ガレル
無音の石でできた白い空間が提示される。そして風の音が聞える。風の音はなにかを語りかけてくる。ニコの声。"Where do you take me ?"。足音。
次のシーン。地平線が見渡せる乾いて干からびた平らにどこまでも広がる地面。足を前に投げ出し座り込んだニコ。"I can't ."。ニコの発音は硬く、ニコの叫びは「コーント」と聞える。その響きは心を打つ。
シーンが切り替わる。凍りついた道を歩く足音。その足音には耳を惹き付ける魅力がある。
そして洞窟のシーン。ニコはドイツ語で語る。ニコのドイツ語の響きに耳を傾けるとき、その言葉は神に対する言葉であることが理解できる。
英語、ドイツ語、フランス語。三つの言語がこの映画では使われる。
図式的になる危険を冒して言えば、英語は人間と人間が語るときに、ドイツ語は人間と神が語るときに、そしてフランス語は大人と子供が語るときに使われる。
大切なのはそれらの言語の持つ響きに耳を澄ませることだ。英語の響きの中には苦悩が、ドイツ語の響きの中には厳粛さと敬虔さが、フランス語には優しさと慈しみがある。
地球から来たと自分を述べる人間と語るとき、ニコはあるときはドイツ語を使い、あるときは英語を使う。
ドイツ語が使われるとき、ニコとその人間との関係は人間対神の関係になり、英語が使われるとき、ニコとその人間との関係は人間対人間の関係になる。
関係の多様性が、ニコとその人間を豊かにしている。あるいはニコとその人間が図式に収まることを逃れさせている。映画は解釈による貧困さから逃れ、豊かさを勝ち得ている。
解釈はここでは罪だ。言葉を含めた様々な音に耳を澄ませればいい。
- 山肌に木霊する羊たちの鳴声。
- 夜の闇の中で燃える炎の音。
- "Nicht"という言葉の決定的な響き。
それらの音にこの映画の全てがある、そう僕は感じた。
1998/06/10