- 1953年大映映画 6/15NFC
- 監督/脚本:衣笠貞之助
- 撮影:杉山公平 美術:伊藤熹朔
- 出演:京マチ子/長谷川一夫/山形勲
豪華な蒔絵の施された文箱の映像をバックにしたタイトル・ロールが終わると、その文箱が開けられ、三巻の平家物語の絵巻物が現れる。真中の巻が取り出され広げられると、華麗な色彩で描かれた地獄絵が画面に映される。その地獄絵は平家に対する源氏の謀反を表現したものだ。その地獄絵に重なるように暗く激しい情熱の物語が始まる。
助監督に三隅研次が付いている。そのこともあり、前半の剣による争いのシーンは実にダイナミックで力強くかつ美しい。剣が殺気を孕んで空間に軌跡を描く。その剣の描く軌跡が後半の一人の勇猛な武者の狂おしい情熱を支える。
武者の情熱は粗野だが、その情熱を受ける女官は動きの端々にまで雅を体現している。武者の荒々しい情熱はその女官によって貴族が受け継いでいた文化と繋がる。いや武者の荒々しい情熱は貴族文化を復活させると言ったほうがいいかもしれない。貴族文化とは、上品で偽善的なブルジョア文化と違って、野性的な奔放な欲望を肯定しその欲望を美しい形の中に入れたものだからだ。
女官は夫を心から愛しているが、野性的な欲望を失い美しい形だけを受け継いだ夫を意識せずに不満に思っている。だから女官は自分を助けてくれた武者に再会した時、武者に妖艶な目の動きをしてみせるのだ。女官は雅を身体の隅々まで染み込ませたからこそ、荒々しい情熱を求める。しかし女官の持っている雅の精神は夫を捨てその武者と一緒になるような不作法はけっして許さない。武者の情熱が燃え盛り、地獄の炎となり、武者が女官にお前の夫を殺してお前と一緒になると言い放った時、女官は二律背反的な雅を完成させる道を見出す。
女官が灯を吹き消し、夜の闇が臥所を占めるとき、貴族文化の精髄が輝く。
貴族文化とは最後には血を求めるものなのだ。
1999/06/15