- 1995年フランス映画 9/22銀座テアトル西友
- 監督/脚本:トニー・ガトリフ
- 撮影:エリック・ギシャール 録音:フィリップ・リシャール
- 出演:オヴィデュー・バラン/フィリップ・プティ/ピエレット・フェシュ
海風の吹く町。季節は夏を迎えようとしている。
そこに一人の少年が現れ、やがて夏が訪れる前に去って行く。少年は言葉を残していく。
「いつまでもたくさん」
ただそれだけの映画だ。でも映画が終わって、場内が明るくなっても僕はしばらく立てなかった。
冒頭の少年を捉えるカメラが印象的だ。カメラは町の商店の中からショー・ウインドウ越しに少年を写す。それは少年のよそ者性を浮き彫りにする。少年は僕たちが生きる世界に属する者ではない。
そんな少年が通勤を急ぐ人々の流れに巻き込まれるシーンはこの映画のテーマに深く関ってくるシーンかもしれない。少年はその流れに翻弄される。人々のたてる靴音は冷たく容赦ない。人々は殻に閉じこもって自分を守りながら自分のことしか目に入らない。
少年は無邪気に笑うことによってそんな人々の心を開くのだ。
僕はベトナム生まれのユダヤ人の旅行者と名乗る老女が心に残った。
老女の住む家はりっぱな家だが、質素と言えるほどなんの飾りもなく、必要最小限度のものしか置いてない。本は多く、暖炉には薪が燃え炎を立てている。老女は人付き合いを絶ち、静かな孤独を守る人間なのだ。
そんな老女が少年モンドと出会う。病気に罹ったモンドは老女の庭に入り込み、身体を横たえる。そのモンドを老女が見つけるのだ。
朝の光の中に目覚めたモンドは老女に勝手に庭に入ったことを詫びる。老女はいいのよと言う。あなたのために門を開いておいたの。僕が来ることを知っていたんだね。にっこりと笑うモンド。
太陽の光が水平線に消えた夜、老女とモンドは散歩に出る。いい匂いだね。夜は目が見えないだけ匂いや音が際立つの。老女とモンドは大地の上に座り、星を見上げる。モンドは老女に星も魂を持っているんだねと語りかける。老女はモンドを通して自分が世界と和解し繋がっていることを悟る。老女はモンドに懇願する。去らないでね。
老女はモンドに去らないでねと言ったときモンドが老女の住む世界には居られないことを知っていたのだろう。モンドは去り、老女の中でモンドは記憶となる。
その時老女はモンドが石に書いていった言葉を受け取るのだ。
"toujours beaucoup"
1997/0922