2016/03/01

イヤー・オブ・ザ・ホース


  • 1997年アメリカ映画 9/25シネマライズ
  • 監督:ジム・ジャームッシュ
  • 撮影:L.A.ジョンソン
  • 出演:クレイジー・ホース


 カメラの前にぶっきらぼうに立ったニール・ヤングが自分をリーダーでもなく、ヴォーカルでもなく、コンポーザーでもなく、たんにクレイジー・ホースのギタリストだと紹介すると、ジョン・レノンが1km離れた所から聞いても彼のギターは聞き分けられると評した、古く傷付いたレスポールから放たれる独特の誰かが崖淵を渡っているようなと表現したギターの音が被さってくる。凄くかっこよく、たちまち引き込まれた。

 一曲目から火の出るような演奏だ。ドラムのラルフがクレイジー・ホースでドラムを叩くとき、自分の全てを出し切ってしまう、疲れるとこの映画で語るがその言葉が実感されるような演奏だ。エネルギーの塊をぶつけてくるような演奏を聴きながら、そのラルフのキックするベース・ドラムの力強さに心を動かされた。4人全員が自分が持てるものを全て出し切り、それを音にして聴衆にぶつけている。そのエネルギーの場をラルフのべー・ドラがしっかりと支えていた。
 映画が進んでいくと、ラルフのクールな人となりが次第に明らかになる。そんなこともあって、スネア・ドラムの使い方に『ベガーズ・バンケット』の頃のチャーリー・ワッツを感じたりもした。

 ギター・アンプのスピーカーがハウリング音を起す。その音を背景にして移動する車の車窓から撮られたモノクロのざらざらした景色が流れる。ハウリング音は次第にコントロールされ、フィード・バック音になる。そして演奏が始まる。そんなシーンを観ながら、僕は改めてニール・ヤングがカナダ生まれなのだということを思った。ニール・ヤングはアメリカという国においていわば異邦人なのだ。その異邦人が彷徨いながら、アメリカとはなにかということを問い続けたのが、ニール・ヤングの音楽であり、クレイジー・ホースの音楽だと僕は感じる。ジム・ジャームッシュはそのことを理解している。だからこそこの映画は移動がイメージの主題となっているのだ。アメリカとはなにかと問うことは、自由について問うことであり、個人について問うことであり、開拓時代、神という名前の下に自分たちの血塗れの欲望を正当化したことについて問うことだ。だからクレイジー・ホースの音は次第に闇に呑まれていき、ついには画面は黒一色になる。

 この映画のクライマックスは『TONIGHT'S THE NIGHT』だろう。
 ビリーのベースが印象的なリフを繰り返し、ラルフがハイハット・シンバルの音を被せる。しばらくベースとドラムだけのシンプルで静かな演奏が続く。そしてニール・ヤングのヴォーカルが入り込む。すごく抑制されたヴォーカルだ。この演奏のハイライトはラルフのキックするべー・ドラの音だけをバックに4人が啜り泣くようなコーラスを聴かせるところだろう。そこを中心として演奏はけっして熱くなることがない。激しい音を聴かせることがあっても、そこには常に抑制が働いている。その抑制が逆にクレイジー・ホースというバンドの凄みを感じさせると同時に、この演奏をある一人の人間に対する最高のレクイエムにもしていた。

 演奏についてはまだまだ書きたいことがある。
 演奏のエンディングでワン・トーンだけで聴衆を煽りに煽るところなんて本当にかっこいい。赤いチェックのコットン・シャツにブラック・ビューティーを抱えて歌う若きニール・ヤングよりも髪を振り乱しジャンプしながらラルフにエンディングのサインを送る老いを感じさせるニール・ヤングの方が遥かにかっこよかったと記してこの感想を終わることにしよう。

1998/09/25