- 1995年台湾映画
- 監督:ツァイ・ミンリャン
- 撮影:Liao Pen-jung
- 主演:リー・カンション/チェン・チャオロN/ワン・ユイウェン
台湾映画です。台湾映画というと、僕が、まっさきに思い浮かべるのは、ホウ・シャオシエンですが、若手で、他にもこんなに素敵な監督がいたんですね。シャオシエンが、第1世代の監督とするならば、この作品のツァイ・ミンリャンは、第2世代の監督です。
淡々と映像を重ねていくところに、2人の共通点を感じました。ミンリャン監督は、TV出身で、この作品が、映画デビュー作です。
今日が初日ということで、ミンリャン監督の舞台挨拶がありました。自分の映画は、他の映画とは、違う。自分の映画は、詩だ。観客のみなさんに、映画を見てなにかを感じ取ってもらうことによって、初めて完成する。そう、ミンリャン監督は、優しい口調で語ってくれました。
水とトイレのイメージが意識的に使われていました。
映画は、降り頻る雨の中の、電話ボックスの内部の映像から始まります。夜の電話ボックスのガラスの外では、雨が降り、通過ぎる車のヘッドライトが、ガラスを明らめる。その最初のイメージで僕は、たちまちこの映画に引き込まれました。
床が水浸しになっている、アパート。必ず、4階で止まるエレベータ。TVに映しだされる、セックス。コンピュータ・ゲーム。街を疾走するバイク。壊されるバイク。暴力。盗み。コンパスの針で串刺しにながらも、生き続けるゴキブリ。ジェームズ・ディーン。割れるガラス窓。傷つき、血を流す手。テレホンクラブ。鳴り続ける電話。電話を見つめる青年。街に飛びだす青年。工事中の道路標識が赤く光る、街の上空には、暗く重たい雲が覆い被さっている。そして、映画は終わる。
映画が終わっても、なにも解決されていない。ミンリャン監督は、物語を語ったのではない。台北の繁華街を彷徨する、4人の若者の現実を、放って寄越したのだ。僕たちは、その現実を受けとめ、投げ返さなければならない。しかし、どうやって。
「ここから出よう。」。「どこへ?」。「僕にも分からない」。
暗さの中にしか、本当の明るさはない。そんな言葉を思い出させてくれる映画でした。
1995/06/10