2016/03/01

ダウン・バイ・ロー


  • 1986年アメリカ映画 11/24シネ・アミューズ
  • 監督:ジム・ジャームッシュ
  • 出演:トム・ウェイツ/ジョン・ルーリー/ロベルト・ベニーニ


 導入部の都会の風景と終盤の自然の風景。それら二つの風景の間に響く音楽に耳を傾けるべきなのかもしれない。

 それら二つの風景は刑務所を通路にして移り変わっていく。
 刑務所では狭い空間に3人の互いに見知らぬ男たちが入れられる。その状況は都会の在り方を凝縮したような状況だ。無数の他人たちが高密度に分布しているのが都会という名の空間だ。それならば、この映画で提示される刑務所空間は都会空間そのものだ。

 しかしこの刑務所空間は都会空間とは決定的に違う。それは3人の男たちはけっして互いから物理的に逃れることができないということだ。3人の男たちはいわば物理的に結び合わされ、その結果3人の男たちは普段は見つけることを忘れてさえいる、他人との通路を探さなければならなくなる。こう言った方がいいだろうか。3人の男たちは刑務所に入れられることによって、いやでも他人と向かい合わなければならなくなり、そのために日常生活ではとっくに諦めている他人との通路探しを始めるのだ、と。

 最初二人の男が刑務所に入れられる。二人の男は互いに自分にとってお前は無だ、存在しないに等しいと言い合う。その言葉は象徴的だ。その言葉はこれら二人の男が他人への通路なんてないんだと信じて生きてきたことを示している。でもそう信じているにしても、四六時中他人は目の前に存在する。他人の存在が通路探しを促す。

 他人への通路の探求は刑務所からの脱出口の発見へと繋がるが、3人の男たちが脱出するのは都会へとでなく自然へとだ。
 自然は選ばれた訳ではないが、象徴的意味を担う。たぶん自然空間は出発点なのだ。3人の男たちは原点に帰り、そこで改めて他人への通路を探る。

 この映画で結果は重要でないというか、この映画は結果のない映画だ。重要なのは3人の男たちが他人への通路を探求する過程なのだ。
 その過程は限りなく愛しい。

1999/11/24