2016/03/01

精霊の島


  • 1996年アイスランド映画 1/3ユーロスペース
  • 監督/脚本:フリドリック・トール・フリドリクソン
  • 撮影:アリ・クリスティンソン 音楽:ヒルマン・オルン・ヒルマルソン
  • 出演:ギスリ・ハルドルソン/バルタザル・コルマキュル/シギュルヴェイ・ヨンスドッティール


 全ての答はハートブレイク・ホテルにある。

 その決めのセリフに向かって映画は収斂していく。

 ドイツ軍からアイスランドを守ったアメリカ軍は戦後もそのまま居座り続け、去った。彼らの残したかまぼこ型のプレハブが住まいの無い人々の住家になった。そんな内容の文章が提示され映画は始まる。
 この映画はアイスランドという国の家庭も含めた広い意味での文化がアメリカという国のがさつな文化の侵入を受け崩壊していくのを描いた映画だとも言える。冒頭の崇高とも言える静かな光は映画が進むにつれ、単調な光に取って代わられ姿を消してしまう。

 でもこの映画にあるのは悲しみでなく、逞しさだ。フリドリクソン監督は「古き良き」アイスランドが崩壊していくのを悲しんではいない。むしろ楽しんでさえいる。オフ・ビートを隠し味に使いながら、ポップな味わいの映画にしている。この映画は極めてアメリカ的映画だ。この映画の中心にはアメリカ文化がある。

 この映画に登場するアメリカ人の名前はチャーリー・ブラウンで、彼の友人たちの名前はトム&ディック、つまりありふれた名前を持つ誰でもあってもいい男たちだ。そしてアイスランドの若者たちはハリウッド映画のチンピラたちを真似た口調で喋り、彼らを真似た身振りでタバコを吸う。ここではアメリカ文化ははっきりと戯画化されている。だからといって、フリドリクソン監督はアメリカ文化を否定している訳ではない。映画から感じられるのはフリドリクソン監督のアメリカ文化に対する嫌悪ではなく、好意だ。

 深い悲しみに沈む青年を、老人はチャップリン歩きをして慰める。その老人のチャンプリン歩きは映画のラストを飾る。土曜日に辛い肉体労働に出かける老人のチャップリン歩きは老人が失ったものたちへのレクイエムであると同時に、老人自身に対する励ましでもある。この映画はアメリカ文化に対するオマージュなのだと言ってもいい。

 冒頭の崇高とも言える静かな光は映画の途中で一度だけ復活する。アイスランドという土地にしか住むことを知らない青年は戸棚の中に置かれたベッドに寝ている。戸棚の空気穴から差し込む光。その光は静かで崇高だ。
 その静かな青い光の中で青年は心から愛する人がエルビス・プレスリーを世界で一番尊敬する男とベッドに入って出す喘ぎ声を聞く。たぶんこの青年は滅びていくアイスランドの「古き良き」文化そのものなのだ。青年は死ぬ運命にある。

 その青年の死を乗り越えたところに老人のチャップリン歩きがある。老人は青年の死に接してガラス玉のようになった両目から静かに涙を流すが、老人はその涙に止まらない。チャップリン歩きで生へ向かって歩く。だからこの映画にあるのは悲しみでなく、逞しさなのだ。

 そう、全ての答はハートブレイク・ホテルにある。

 一年の初めにこの優れた映画を観れたことを感謝したい。

1999/01/03