2016/03/01

シャンドライの恋


  • 1998年イタリア映画 2/7シネスイッチ銀座
  • 監督/脚本:ベルナルド・ベルトルッチ
  • 撮影:ファビオ・チャンケッティ 音楽:アレッシオ・ヴラッド
  • 出演:サンディ・ニュートン/デヴィッド・シューリス


 冒頭は映画の教科書でモンタージュ手法のお手本にできそうなシーンが続く。正直僕は身が引けてしまった。内容よりも技法が目立ってしまっては映画としては失敗だ。映画が中盤に進んでいってもやはり技法は常に目に付く。カットとカットの繋ぎに同色を使う(花のピンク色と傘のピンク色)とか、固定カメラで捉えたショットとショットの間に手持ちカメラで撮った「ぶれた」ショットを入れて登場人物の心理を強調するとかそんな技法たちが否応無く目の中に飛び込んで来る。

 でも映画が進むにつれ、それらの技法は登場人物たちの微妙でもあり激しくもある心の動きに明確に形を与えていることに気付くのだ。そこにベルトルッチの美学がある。主要な登場人物である二人の心の動きは「平凡な」ものだ。恋とはいつ誰に訪れてもそのためには全世界を引換えにしてしまう情熱なのだから、二人の心の動きはけっして特別なものではない。その特別でない心の動きにベルトルッチは厳密に形を与えていくことによって、美を与えているのだ。陽光を浴びて白く輝くシーツに映る鉢植えの植物の影。そのショットはある意味ではあざといが、登場人物の心の中で閃くものの表現であることによって、とても美しいものになる。

 あおりで撮られた螺旋階段で囲まれた円形の空間をゆっくりと落ちていく白い布。構図的にはさんざん使われてきた凡庸なものだが、ここにあるのは映像のための映像ではない。ベルトルッチは美しい映像を撮ろうとは微塵も考えていない。彼の頭の中にあるのは二人の心の動きをいかにして形にするかということだけなのだ。意図的でなく偶然に二人の間を繋ぐようにして落ちていく白い布。その白い布自体は不安定だが、幾何的な構図の中に置かれることによって、力を得て二人の間に流れる運命的なものを予告する。ここにあるシーンはどちらかと言えばユーモラスなシーンなのだが、これほど恋の本質を見事に捉えているシーンが他にあるだろうか?ここでは恋の本質が十全に映像化されている。

 光が溢れる国では形こそが最も重要なものになる。ベルトルッチが光の国、イタリアの人間であることをこの映画は観る者に強く思い起こさせる。

2000/02/07