- 1934年フランス映画 1/16NFC
- 監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 脚本:シャルル・スパーク
- 撮影:ニコラ・エイエ 音楽:ジャン・ヴィエネール
- 出演:マリー・グローリー/アルベール・プレジャン/ユベール・プレリエ
港町ル・アーブルを舞台にする実に魅力的な映画だ。
光と音楽に満ち溢れた島で半裸の男女が抱き合う。冒頭は映画館で上映されている映画から始まる。"FIN"とクレジットされ、人々が映画館から出ていく。これは映画なのよ、嘘の話なのよ。観客の一人の言葉を中心にして、スクリーンには「天国」に代わり、雨の夜のパリが映し出される。絶え間なく降る小雨に濡れながら歩く二人の職の無い青年労働者。クロース・アップされる不審気な警察官の顔。労働者の一人がいま観た映画に誘われたようにカナダの話をする。新天地がそこにある。ある会社が呼び掛けているカナダの開拓に応募するんだ。
二人はカナダへ行く決心をする。"le depart"(出発)という言葉が輝きを持って発せられる。"le depart"(出発)という言葉は二人をその言葉が最も相応しい港町へと連れていく。
港町は魅力的だ。なぜなら港町は人に出発する自由と止まる自由という二つの最も大切な自由を与えるからだ。最後に二人の青年はそれぞれ別の自由を選ぶ。パリへと向かう線路とカナダへと向かう海が交互に映し出される。その時ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は両方の自由を愛しているように思える。両方の自由を愛する人だからこそ、港町に拘るのだ。
夢のような素敵なシーンがある。出帆の前夜二人の青年は酒場で浮かれ騒ぐ。一人の青年が歌いだす。アコーディオン弾きが音楽を付ける。酒場の楽しい雰囲気に誘われて酒場を囲んだ通りを歩く人々が合唱する。それはまるでジュリアン・デュヴィヴィエ監督の場末の港町に対する賛歌のように聞えた。僕はこんなシーンに弱い。
夕焼空を背後にシルエットになった小舟がスクリーンを斜めに横切る。『商船テナシチー』にはジュリアン・デュヴィヴィエ監督のロマンチシズムが漲っている。シャンパンと月と砂浜とダンス。たぶんこの世界にはそれだけがあればいいのだ。
行く当ての無い二人の無職の青年労働者を主人公にしながら、この映画は暗さを印象として与えない。心に残るのは瑞々しさだ。その瑞々しさはたぶんル・アーブルという港町が与えるものなのだろう。
1999/01/16