2016/02/28

椿三十郎


  • 1962年東宝映画 6/29NFC
  • 監督/脚本:黒澤明
  • 撮影:小泉福造 音楽:佐藤勝
  • 出演:三船敏郎/仲代達也/加山雄三


 この娯楽映画の主人公を分析すれば、スーパーマン的に強い善人となる。この気のいい善人は闘争能力に優れているだけでなく、頭もいい。そして自分が善人であることではなく、善人であると思われることに「恥」を感じ、わざと悪ぶっている。この映画の主人公には反抗期の少年のようなところがある。

 観客がこの主人公に惹かれるとするならば、もうすぐ四十になろうとしているこの男が反抗期の少年のような純粋さをいまだに保っているからだ。それは端的に言ってかわいい。この男にとって権力者たちの汚職や、権力争いはどうでもいいことなのだ。この男を動かすのは、青年たちの純粋さだ。この男の持っている純粋さが青年たちの純粋さと共鳴し、この男を戦いへと向かわせる。

 この男は固定した場所を持たずに流れる者だが、それは男が流れざるを得ないからだ。男の持つ純粋さは社会からは大人になれば無くなることを要求されるような純粋さであって、その点において男は社会からはみ出している。男は社会から拒絶され、流れざるを得ない。

 男は抜き身の刀のようだと評されるが、それは男がその純粋さ故に悪を認めることができないからだ。男には清濁合わせ飲むという芸当はとうていできない。男は悪を見れば叩き切ってしまう。それが男の魅力であり、最大の弱点でもある。

 男には生の目的はない。男はただ自分がなぜか持ち続けている純粋さに忠実に生きているだけだ。だから男は風のように自由だ。その自由さが僕たちを彼に強く惹き付けるのかもしれない。

2000/06/29