2016/02/26

恋の秋


  • 1998年フランス映画 11/30シャンテ・シネ2
  • 監督/脚本:エリック・ロメール
  • 撮影:ディアーヌ・バラチエ 録音:パスカル・リビエ
  • 出演:マリー・リヴィエール/ベアトリス・ロマン/アレクシア・ポルタル


 風に揺れる木々が立てる騒めきと空間を満たす光。それを感じればいいのだ、と思う。

 冒頭、幾何学的な建物とその建物によって幾何学的に切り取られた陽光に明るんだ空が提示される。そして映画は夜の闇に溶け込み広がる音楽がもたらす歓楽で終わる。映画は理知的に始まり、官能で終わる。昼の明るさに始まり夜の闇に終わる、と言い換えてもいい。それら二つのものを繋ぐのが、風に揺れる木々が立てる騒めきであり空間を満たす光なのだ。

 風に揺れる木々が立てる騒めきを企みのメタファーだと見てもいい。それぞれの生にそれなりに満足し、それぞれの生に生きている人たちが、「企み」によって、恋の官能を知る、或いは、呼び戻す。恋の官能を知ったとき、或いは、呼び戻したとき、初めて人々は生の輝きを得ることができる。でもここにある生の輝きは節度のある輝きだ。官能はモラルによってしっかりとコントロールされている。ここにある生の輝きを理知的官能だと言ってもいい。映画の冒頭と終わりは響き合っている。

 「企み」は誰よりも企む人にとって危険だ。「企み」は企む人を官能へと押しやる。その危険から企む人を救うのは冒頭の幾何学的イメージで現わされている理知、より適切にはモラルなのだ。モラルが恋の炎で身を焼くという危険から人を救う。

 いやそう言ったら間違っているだろう。この映画の中心は「企み」であるように見えて、そうではない。この映画の中心にある運動は、モラルと官能との間の運動なのだ。「企み」が昼の明るさの中に、夜の闇を呼び寄せる。人は昼と夜との間に置かれる。人は両方に引かれる。モラルと官能の両方から引かれる。

 ここにあるのは人間の理想的な在り方なのだ、と言ってもいいかもしれない。官能に強く惹かれながらも、決してモラルから目を逸らすことはしない。そのような在り方は常に危険を孕んでいるが、そこにしか生の輝きはあり得ない。

 直截にこの映画の主人公は書店を経営する女性なのだ、と言ってもいい。企む人であるその女性は、官能に身を開きながら、モラルを選び取る。その運動こそがこの映画のテーマなのだ。

 冒頭の明るい理知的なイメージと、終わりの夜の中で官能が奏でるメロディーにじっと耳を澄ませているような女性の表情。それら二つのイメージが一体となるとき、風に揺れる木々が立てる騒めきが聞えてくる。

1998/11/30