- 1996年フィンランド映画 7/19ユーロスペース
- 監督/脚本:アキ・カウリスマキ
- 撮影:ティモ・サルミネン
- 出演:カティ・オウティネン/カリ・ヴァーナネン/エリナ・サロ
アキ・カウリスマキは小津安二郎の映画のどこに感銘したのかと聞かれて、暴力や刺激的な物語が無くても人を深く惹き付けて感動させる映画を創ることができることを教えてくれたことに感銘したと答えていた。そして「赤いヤカン」を一生求め続けるんだと語っていた。
「赤いヤカン」はこの映画の至る所にある。赤いコート。赤のブラウス。赤いソファー。赤のノートブック。赤の蝶ネクタイに赤いポケットチーフ。そしてコンロに置かれた赤のポット。
でもその赤に対抗するように青が印象的に使われていることに気付く。中年の夫婦が朝の光の中で朝食を取るときのテーブル・クロスの青はとりわけ印象的だ。それはアキ・カウリスマキが小津安二郎の影響を抜け出し、独自の境地に行こうとしていることを象徴している。小津の映画は日常生活を捉えながら、その登場人物たちを悲劇的人物として描き出す。小津の映画を観るとき僕たちが感じるのは生の持つ深い悲しみだ。「浮き雲」が与えてくれるものはそれとは違う。「浮き雲」は生きる勇気を与えてくれる。それは観る者の心にゆっくりと染み込み、その分だけ心を深く動かす。小津が静ならカウリスマキは動へと向かっている。いや小津が悲しみを描いたとするならば、カウリスマキはその悲しみを乗り越えるものを求めているように思える。
はっきりとは語られないが、主人公の中年夫婦は子供を亡くしている。新たに子供を作らないのはその時の悲しみがあまりも深かったからだろう。そこに僕はこの中年夫婦の人柄を感じる。妻があらゆる希望を無くした時、子供の墓を参る時の美しさは心に染みる。人は生きる力を失った時愛する者に身をそっと寄せる。そして力を得る。
もはや若さを無くし、未来を託せる子供もいない夫婦。この夫婦は仕事を失う。僕たちはこの夫婦に惨めさを感じるだろうか?いやその反対だ。映画が進むにつれ僕たちはこの夫婦に尊敬の念を抱くだろう。いかなる状況に陥ってもこの夫婦は互いに対する細やかな愛情をけっして失わない。それがどんなに貴重な宝物であるかこの夫婦は気付いているのだろうか?そしてこの夫婦はいかなる状況に陥っても誇りをけっして失わない。この夫婦は保障を受けることを潔しとせず壁紙を食べて凌ぐことさえ決意するのだ。
負けが続いても戦うことを放棄しない人間たちが「浮き雲」にいた。そんな人間たちは生きる勇気を与えてくれる。
アキ、素敵な映画をどうもありがとう。
1997/07/19