2016/02/23

白い花びら


  • 1998年フィンランド映画 6/26ユーロスペース
  • 監督/脚本:アキ・カウリスマキ
  • 音楽:アンシ・ティカンマキ
  • 出演:サカリ・クオスマネン/カティ・オウティネン/アンドレ・ウィルムス


 父親のような中年の夫と娘のような若い妻。原題は夫の名前になっているが、映画が終わるときそのことが理解できる。この映画は醜いモンスター=夫についての映画なのだ。

 インタヴューでアキ・カウリスマキは自分は自分自身を憎むために生まれてきたようなものだと言っているが、その自己憎悪がそのままこの映画のモンスター=夫に反映されている。

 スポーツ・カーでやって来る男は切っ掛けにしか過ぎない。その男によってモンスターの妻は自分の若さと美しさに気付く。その時モンスターとの「子供のような」幸福な時は終わりを告げ、妻である女はモンスターに自分を拘束する息苦しさしか感じなくなる。

 カウリスマキはこの歳になってもいまだに自分自身を愛することができないと述べているが、モンスターとは誰からも愛されない存在であり、それ故にカウリスマキの分身となるのだ。
 この映画のモンスターは妻に去られたとき、自分がモンスターであること、誰からも愛されない存在であることを、痛切に認識する。そして愛を取り戻すためというよりは、全てを破壊するため立ち上がる。でもモンスターはかつては自分を愛してくれた存在を潰すことはできない。モンスターとはたんに誰からも愛されない存在ではなく、愛されることを切実に望みながら、誰からも愛されない存在なのだ。だからモンスターは少しでも自分を愛してくれた存在を亡き者にすることはできないのだ。

 モンスターは死ぬのではなく、死を選ぶのだ。全てを破壊する決心をしたとき、モンスターは愛されるという夢、とても切実な夢を放棄する。その放棄において人生は無意味になり、モンスターは死を選ぶ。

 モンスターは死に場所にゴミ捨て場を選ぶ。それは痛烈に観る者の心を動かす。ゴミとは誰からも見放された存在のことであり、モンスターはそのゴミたちが集まる所を死に場所とすることで、自分が誰からも愛されない存在であることを認めるのだ。たぶんその認識からモンスターの生は始まるのだが、モンスターは始まるところで死ななければならない。それはモンスターの運命なのだ。

 アキ・カウリスマキの映画は観る者たちに、静かな印象を与える。それは彼がモンスターの運命を受け入れているからではないのか、そんなことも感じた。

2000/06/26