- 1927年アメリカ映画 12/9NFC
- 監督:ハワード・ホークス 脚本:ウィリアム・M・コルセルマン
- 撮影:L・ウィリアム・オコネル 美術:ウィリアム・S・ダーリング
- 出演:ジョージ・オブライエン/ヴァージニア・ヴァリ/J・ファレル・マクドナルド
※写真はハワード・ホークス
映画を通して光と風があった。まだまだ断言できないのだけれど、光と風はハワード・ホークスの命のようなものではないだろうか?車と飛行機を自在に操ったホークスは乗物がスピードを上げ風の中に入る時、光と風でできた世界の住人となったのだ、と、間違っているかもしれないが、感じる。
コメディ映画で愛とはとか言い出すのは、ずいぶん野暮だということは充分に承知しているが、この映画から感じられるのはホークスの愛への信頼だ。パリの安酒場で観光客を欺いて金を稼いでいる札付きの女性も愛の前では少女のような純情を見せる。そしてその愛への信頼は光と風がもたらすもののように感じられるのだ。その女性が結婚してもいいと思うほど愛する人と再会するとき、そこでは光と風が充ち満ちている。
もちろんホークスは愛の持つ暗い面も充分に承知している。バナナを効果的に使ったシーンでは、愛の持つ醜悪さが嫌悪感をもよおわせるほど見事に表現されている。僕は正直このシーンが嫌いだが、でも愛は醜悪だからこそ美しいのも真実だ。暗さが光を生み出す。愛は性欲という暗い欲望から生まれるが、その愛は闇へとでなく、光と風の世界に向かって成長する。芸術家たちが愛に惹かれるのは愛が闇と光との中間にあるものだからだ、とプラトン哲学を無粋になぞってしまうものをこの映画は持っている。
ここまで書いてかなり滑稽だなと感じる。この映画はラブ・ロマンスであり、軽快な明るさを持つ映画であり、以上のような議論にこれほど似合わない映画もない。
ラスト・シーン、クールな観光客があれは芝居で毎晩繰り返されているのさと得意げに言う。それが真実でないことを知っている僕たちは笑いに誘われるが、映画が終わった後、そのせりふはもう一段高い段階で真実であることに気付く。ホークスは愛を信じながら、愛を皮肉る。そこが魅力なのかもしれない。
1999/12/09