- 1967年アメリカ映画 2/25NFC
- 監督:ハワード・ホークス 脚本:リー・ブラケット
- 撮影:ハロルド・ロッソン 音楽:ハル・ペレイラ
- 出演:ジョン・ウェイン/ロバート・ミッチャム/シャーリーン・ホルト
『リオ・ブラボー』の続編というよりは、翻案というべきこの映画は、その『リオ・ブラボー』を観た後では、色褪せて見える。
それはたぶん女性の存在が『エル・ドラド』ではかなり小さくなっているからだ。『エル・ドラド』では男たちの友情ごっこが売りになっていて、女たちはその友情ごっこに色を添える存在でしかない。
友情ごっこと書いたが、まさに「ごっこ」なのであって、『リオ・ブラボー』にあった保安官と失恋で酒浸りになった助手との友情にあった厳しさはここにはない。友情が「ごっこ」に留まっているのだから、当然恋も中身の薄いものになり、女たちは重要性を失う。『リオ・ブラボー』は幸福感に充ち満ちた映画だったが、その幸福感は友情の厳しさと恋の切実さが生み出したものだった。
娯楽作品として評価するならば、『エル・ドラド』の方が上だろう。『リオ・ブラボー』を分かり易く、口当たりのいいものにしたものが『エル・ドラド』だと言える。『エル・ドラド』には深刻さは無く、映画は軽快に流れていく。
軽快に流れていくが『エル・ドラド』の背景になるものを考えると、この映画はかなり重い。その重さは観客には完全に隠されている。開拓者と新興企業家との対立が『エル・ドラド』の背景にはある。開拓者の未来を担う青年が、開拓者と新興企業家との対立が生み出した鬼子とでも言うべきガンマンに殺されるのは象徴的だ。開拓者は遅かれ早かれ完全に敗北するだろう。それならば開拓者の勝利に終わる『エル・ドラド』は一つのおとぎ話なのだ。
僕はこの映画では一人の誇り高いガンマンに惹かれる。彼はたぶんあまりにも個人主義者だったのだ。それ故に彼は自分の能力を発揮することなく殺される。このことについてはまた別の機会に書こう。
2000/02/25