2016/02/16

永遠の戦場


  • 1936年アメリカ映画 12/10NFC
  • 監督:ハワード・ホークス 脚本:ウィリアム・フォークナー
  • 撮影:グレッグ・トーランド 美術:ハンス・ピーターズ
  • 出演:フレデリック・マーチ/ワーナー・バクスター/ジューン・ラング


 光はこの映画では消されていく。消されて空を巨大な怪物が飛びながら地上に破壊をもたらすとき、闇の中に残るのは一本のロウソクの炎が発する光だ。この男らしさをテーマにした骨っぽい映画を愛の映画だとするならば、その儚げで移ろいやすくもあれば導きでもあるロウソクの光がこの映画の愛を象徴する。

 移ろいやすく儚いものである愛。そんな愛の軽薄さを知りながらも、ハワード・ホークスは愛を信じている。そう僕は感じた。重要なのは、唯一大切なのは無骨で不器用な大尉の愛なのだ。
 大尉の愛は不器用で、不器用なだけひたむきだ。大尉は愛する人の心が自分から離れていってもその人を愛しつづける。大尉の愛は導きであるロウソクの光だ。大尉は恐怖が日常になっている場で、愛を生きがいに生きている。たぶん大尉はあまりにもナイーブなのだろう。愛する人の心が完全に自分から離れてしまったことを言葉で知った大尉は怒る代わりに後ろによろめく。岩のような厳しさと不屈さを持った大尉がよろめくのは、「可愛く」切ない。

 失明は象徴なのだ。愛を失った大尉はもはや一人では生きていけない。父親の助けが必要だ。いや、父親が息子にお前の目の代わりになろうと言うとき、父親は息子にとって愛がどんな意味を持つのかを誰よりもよく知っていたに違いない。父親が息子に助けを申し出るとき、父親は息子に死地に赴く手伝いをしようと言っているのだ。

 大尉の愛を真に理解するのは、大尉の愛のライバルである中尉だ。一度は大尉を愛した女性は大尉の心はどこか歪んでいると言う。そう言うとき彼女は大尉を理解していないことを露にする。
 ホークスは愛を否定しながら、愛を肯定している。こう言っても同じことだ。ホークスは愛を肯定しながら、愛を否定している。映画が終わったとき、心に残るものはなんだろうか。僕の心には導きであるロウソクの光が残った。たぶんそれは正しいことなのだ。

1999/12/10