2016/02/28

『男性・女性』『彼女について私が知っている二、三の事柄』

 アルゴス・フィルム特集、遂に、ジャン=リュック・ゴダール登場。ということで見てきました。
 見たのは、「男性・女性」と「彼女について私が知っている二、三の事柄」の2本です。ヌーヴェル・ヴァーグの成果の1つとして、ドキュメンタリー手法(シネマ・ヴェリテ)によって、街の息吹をフィルムの中に捉えたということがありますが、これは、誰もがそう言うように、「男性・女性」に強く感じました。それにしても、ゴダールは、昔から、同時録音がお気に入りだったんですね。街は騒音に満ち満ちている。そんなことに改めて気づきながら、見ていました。

『男性・女性』

  • 1966年フランス映画
  • 監督:ジャン=リュック・ゴダール
  • 主演:ジャン=ピエール・レオー/シャルタン・ゴヤ


 「男性・女性」は、題名についての作品というよりは、主人公ポールのベトナム戦争時のパリ地獄巡りとも言うべき作品でした。子供を連れ去ろうとする男を、射殺する女。ベティ・ディビスの歌っているのは、黒い私なんか、あんた嫌いだろうということなんだと言う黒人を射殺する女。自分の体にナイフを突きたて、倒れる男。石油を被って、焼身自殺をする男。ポール自身も、ポルノ小説を大声で読み上げる男たちのいるところで、愛の告白をしなければならず、最後には、写真を撮るために後ろに下がって、穴に落ちて死ぬという滑稽で、無意味な死を死ななければなりません。時代の不安な動きに、身震いしているパリを捉えた作品と言ったらいいでしょうか。銃声と共に、この作品は終わります。

 映画好きのポールは語ります。いつも映画を見ていた。幕が上がると、いつも期待した。しかし、たいていの場合、退屈で、うんざりした。僕が望んだのは、「映画に中で生きること」だったのだ。その「映画の中で生きる」を実践したのが、「彼女について私が知っている二、三の事柄」です。僕は、そう感じました。

『彼女について私が知っている二、三の事柄』

  • 1967年フランス映画
  • 監督:ジャン=リュック・ゴダール
  • 主演:マリナ・ヴラディ/ジョゼフ・ジェラール


 まず、女優が登場する。右を向く。女優が演じている、主婦ジュリエットがいる。ジュリエットが、左を向く。こうして映画が始まります。女優は、ドイツの演劇理論家ベルトルト・ブレヒトの理論を紹介します。俳優は、台詞を、引用するように言わなければならない。このブレヒトの理論は、俳優は、その役に感情移入して、一体化するのではなく、常にその役に対して批判的立場に立って演ずべきだということを言ったものです。実際、マリナ・ヴラディは、主婦ジュリエットを演じながらも、ジュリエットに対しては、終始批判的です。観客も、ジュリエットに感情移入して、映画を「見る」ことはできません。ジュリエットから一定の距離を置き、ジュリエットの生を受けとめ、自分自身で、その生を「批判」しなければなりません。これが、「映画の中で生きる」ということでしょう。

 ジュリエットの投げかけてくる、生は、重たいものです。仕事をして、それを終えて、ほっとして家に帰る。眠る。朝起きる。同じことを繰り返す。そして、死ぬ。そんな都市生活者の虚無的な生の中で、ジュリエットは、自分を定義する言葉は、1つしかないと言います。それは、まだ死んでいないということ。僕たちがしなければならないことは、その生をまず受けとめることでしょう。その先は、もはや映画の中にはありません。僕たち自身の生の問題です。

1995/04/04