2016/02/16

リオ・ロボ


  • 1970年アメリカ映画 3/1NFC
  • 監督:ハワード・ホークス 脚本:バートン・ウォール
  • 撮影:ウィリアム・クロージア 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
  • 出演:ジョン・ウェイン/ホルヘ・リベロ/シェニファー・オニール


 蜂の群に襲われ列車から飛び出し、首の骨を折って死んでいく軍人。若い女性の顔を深く傷つけることを厭わないほど冷酷でありながら、最後には銃口の変形してしまったライフルの引金を引いてしまい、暴発した銃弾に致命傷を負う保安官。

 これら二人の死はけっして華々しいものではない。はっきり言って不名誉で無様な死に方だ。それだからこそ僕はこれら二人の死に惹かれる。これらの死にはハリウッドという枠組みから外れてしまっているハワード・ホークスがいる。

 男らしさはジョン・ウェインが演じる大佐の中にあるのではなく、これら二人の男たちの中にあるのだ、と僕は感じる。滑稽さ悲惨さの中にこそ男らしさは在る。男らしさをこの世界においてけっして諦めることなく生の中で楽しさ、明るさを求めることだと定義するならば、彼らこそ男らしい人間たちだ。彼らはこの世界の本質である滑稽さ、悲惨さからけっして目を逸らしてはいない。彼らは滑稽さ、悲惨さを引き受けながら死んでいく。彼らは楽しさ、明るさに目を向けることはないが、世界の本質である滑稽さ、悲惨さから目を背け自分をごまかすことはしない。それこそが生の戦いにおける第一歩なのだ。

 でもその真の男らしさは、奇跡が起こらない限り負けが決まっている戦いに当たり前のことのようにして向かうジョン・ウェイン演じる人物の「男らしさ」に隠されてしまう。ジョン・ウェイン演じる人物はけっして男らしくない。なぜならば彼は真に困難な生の戦いではなく、銃撃戦という「安易な」戦いを選んでいるからだ。

 ジョン・ウェイン演じる人物が戦うべきであった戦いを戦いつづけたのが、ジョン・カサヴェテスなのだ、と蛇足として付け加えておこう。

2000/03/01