- 1931年フランス映画
- 監督:ジャン・ルノワール 脚本:ジャン・ルノワール
- 撮影:テオドール・スパイクル
- 主演:ミシェル・シモン/ジャニー・マレーズ/ジョルジュ・フラマン
主役の一人ミシェル・シモンはジャン・ルノワールが「自分の作品であることも忘れて、ただスクリーンに偉大な俳優を認めるだけ」とまで絶賛した俳優だ。
背の丸め方、手を後ろに組んで歩く様子、右手をメガネにやる動作、それらからロマンを持ちながらも退屈で残酷でさえある日常生活に半分潰されながら耐えている中年の男性が生き生きと浮かび上がってきていた。
でもこの映画で一番感嘆するのはルノワールの語り口だ。恋愛関係の中にある愛憎が生ま生ましくありありと描かれ、スクリーンに引き込まれた。撲られお金を絞り取られても、その男が愛しくてたまらない娼婦。娼婦に利用され罵声を浴びせかけられても娼婦に対する想いを断ち切ることのできない中年男。そんな恋愛関係に潜んでいる魔力に引き摺られるようにして三人は破局に向かって突き進む。
シーンの扱い方も印象的だ。一つ一つのシーンは溶暗で終わる。それはちょうど演劇において各場で幕が引かれるようだ。その結果各シーンは独立する。そしてそれらの独立したシーンが一体となってひとつの映画を形作る。その手法は映画にアクセントと小気味いいリズムを与えていた。
映像も素晴らしい。撮影はテオドール・スパイクル。
厨房から小エレベータで上のパーティ会場に運ばれる料理を小エレベータよりも奥に設置したカメラを使って画面の手前で捉え、画面の奥にパーティの様子を捉えるという外連味たっぷりの映像で映画は始まる。
恋愛劇というよりはフィルム・ノワールと言った方がいいこの映画で僕は特に前半の暗く沈んだ映像に惹かれた。特に中年男が娼婦との恋に陥るシーンは素晴らしい。夜の広場の階段を降りる娼婦。それを見つめる中年男。黒が支配する画面の中でテオドール・スパイクルは階段の欄干の上部を光らせた。
男が広場で処刑される朝のシーンも素晴らしい。監獄のベットで眠っている男。画面の奥で大きな白い扉が開く。執行官が次々に入ってくる。彼らの影が開いた白い扉に映る。それらの影は男の不安を見事に表現していた。
殺人のシーンは圧巻だ。
陽光が降り注ぐパリの路上。大道芸人が音楽を奏でる。誘われるようにして人々が集まってくる。その様子を捉えてからカメラは上昇する。建物の窓を一つ一つ捉える。四階にある窓に達するとカメラは接近する。ベッドの中年男と娼婦。娼婦は仰向けになり、上半身がベットから落ちそうになっている。娼婦は血を流している・・・。
ルノワール第一期黄金時代の幕開にこれほど相応しい映画はない。
1997/02/01