- 1945年アメリカ映画
- 監督/脚本:ジャン・ルノワール
- 撮影:リュシアン・アンドリオ
- 主演:ザカリー・スコット/ベティ・フィールド
ヴェネチア映画祭で最優秀作品賞を受賞したこの映画は、今度のルノワール特集で僕が一番観たかった映画です。
エリック・ロメールは「ジャン・ルノワールの小劇場」にはルノワールの全てがあると言いましたが、「南部の人」には僕の愛するルノワールの全てがあります。この映画はおそらくそれほど高くは評価されない映画なのでしょうが、僕が一番愛するルノワール映画です。
ザカリー・スコットが誇り高く"I'm a firmer"と言うところにこの映画の全てがあります。"firmer"をたんに農民と解釈してはなりません。手元にある辞書には"a person who owns or manages a firm"と定義してあります。他人に雇われることなく独立して生きている人間と解釈すべきでしょう。
たとえどんなリスクがあるにせよ、他人の庇護の下で生きるのではなく自分の責任と力で独立して生きることを何よりも尊ぶ人間がリアリズムで高らかに歌い上げられます。
独立して生きることにこそ人間の真の自由と幸福があると信じ懸命に生きている主人公に対比して一人の人間が置かれます。
土地を開拓して綿花を育てようという主人公の隣人になる人間なのですが、苛酷な自然に愛する妻と子供を奪われ、自分の利益を守ることと他人を嫉妬することしか知らない頑なな人間になってしまった人間です。
ルノワールのリアリスティックな目はその人間を通して人間の滑稽さ愚かさを容赦なく描きだしますが、感動的なのはルノワールがその滑稽さ、愚かさごと人間を受け入れ愛していることです。
主人公から川の主である大ナマズを釣った手柄を譲ってもらったとき、ちょっとばつが悪そうに含羞んだ隣人を捉えたシーンにそんなルノワールの愛があります。
それは主人公の叔母である老婦人の描き方からも感じられます。子供が風邪をひかないようにコートを作るために自分のお気に入りの毛布が取られたとき泣き叫ぶ老婦人はまさに滑稽で愚かな人間ですが、その滑稽さ、愚かさの描き方にはルノワールの人間に対する愛があります。
主人公が苛酷な試練に夢を見失った時、力を与えるのはこの「滑稽で愚かな」老婦人でした。
主人公一家が初めて自分たちの土地に行って目にするのは人間が住むとはとても信じられないぼろぼろになった家です。
主人公の妻はその家にあるストーブを直します。ストーブに火が入り家族は互いに肩を抱きながらその火を見つめます。そこには夢を持ちそのためには戦う覚悟のある人間だけが持つことのできる輝きがありました。とても好きなシーンです。
このシーンは最後にもう一度繰返されます。それはとても感動的なものでした。
そして結婚披露宴のシーン。ここにある幸福感をどう表現したらいいのでしょうか。僕は涙が浮かんでしまいました。
1996/12/13