2016/02/13

小間使の日記


  • 1946年アメリカ映画
  • 監督/脚本:ジャン・ルノワール
  • 撮影:リュシアン・アンドリオ
  • 主演:ポーレット・ゴダート/B・メレディス


 NFCルノワール特集です。
 この映画の主人公は召使の青年でしょう。無音の空間で群衆の海が真っ二つに割れ、暗い情熱に生きた青年の刺殺死体が現れるところは圧巻です。

 小間使はあなたの目は恐ろしいと青年を押し退けますが、観客もそれは同じです。この感情移入のしにくい主人公と観客を繋ぐ者がこの勝ち気で野心満々の小間使です。小間使が前面に出ることで映画は明るさとユーモアを得て観客を惹き付けますが、核にあるのはこれ以上も無く暗いものです。

 手のクロース・アップ。ズボンのポケットから柄の付いた鋭利な長く太い針と砥石が取り出される。磨かれる針。家鴨。片手に抱かれた家鴨ともう片方の手の針。家鴨と針は画面から消える。家鴨の長い悲鳴。
 このシーンは映画の中心を成しながら、最後のカタストロフィーを予告していました。

 僕は「ゲームの規則」との類似を思いました。
 小間使にとって当初恋は自分の野心のための手段です。小間使にとって恋はあくまでもゲームです。しかし恋はついに小間使を捉え憎しみの感情を掻き立て狂気へと誘い、召使の青年へと向かわせるのです。「ゲームの規則」でも恋に対して気取った態度を取りゲームとして接しようとしていた人たちが最後には恋によって暗闇へと送り出されました。
 そして殺される家鴨がカタストロフィーを予告していたように、「ゲームの規則」では銃撃され身体を震わせ死んでいく野兎がカタストロフィーを予告していました。温室が悲劇の舞台の一つになることも共通します。

 自分自身の主人になるために、自由になるために十年のものの年月を犠牲にする青年。暗く恐ろしい目をした青年。青年が最後に得るものは自由を祝う革命記念日に浮かれる群衆の中での皮肉な死です。
 僕は心を痛めながらフィルムセンターを出ました。

1996/12/19