2016/02/25

最後の億万長者


  • 1934年フランス映画 3/23NFC
  • 監督/脚本:ルネ・クレール
  • 撮影:ルドルフ・マテ 音楽:モーリス・ジョベール
  • 出演:マックス・デアリー/ルネ・サン=シール/マルト・メロ


 ルネ・クレールの戦前最後の映画。

 このコメディ映画の前では少し戸惑ってしまう。ユーモアの後には苦さが潜んでいる。その苦さが戸惑わせるのだ。金と権力の癒着。それがこの映画のテーマならば、そのテーマはそのまま当時のヨーロッパ社会の諷刺となる。ドイツでは大資本家、クルップとヒットラーが結び付こうとしていた。諷刺の刺は諷刺する者自身を刺す。不況の中にある人々は金と権力の癒着を称賛するしかなかった。そのような状況がこの映画に苦さをもたし、僕たちを戸惑わせるのだ。笑いは途中で凍り付く。

 架空の国が舞台になる。その国は不況に苦しんでいる。国主である老婦人は一計を案じる。孫娘をその国出身の億万長者と結婚させ、その財産によって国を潤すのだ。抜け目のない億万長者はその計略をすぐに見破り、貧しさに苦しんでいる大衆を巧に利用して、逆に独裁者の地位を手に入れる。
 そこからこの映画の諷刺が強烈に効き始める。権力をあっと言う間に奪われたその国の権力者たちは、独裁者となった億万長者をその座から引き下ろす計略を練る。その計略は失敗するが、独裁者は狂ってしまう。狂人がひとつの国を支配し始める。椅子は凶器と見做され、廃棄される。国中の帽子が集められ、海に捨てられる。髭を生やした男たちは全員半ズボンを穿くことが命じられる。それらはフィルムに収められ、独裁者の宣伝として使われる・・・。

 この映画で笑う者は、自分自身を笑うのだ。権力とは組織にあって、その中心に在るものであり、組織の成員がその権力に従うことによって、組織は存続する。現代社会に生きるということは組織の中で生きるということだ。僕たちは椅子を凶器と見做し、帽子を海に捨て、半ズボンを穿く。それが現代社会に生きるということだ。

 この映画はけっして優れた映画だとは言えないが、それだけにルネ・クレールという一人の芸術家の時代に対する在り方を如実に伝えてくれる。

1999/03/23