2016/02/25

イタリアの麦藁帽子


  • 1927年フランス映画 3/19NFC
  • 監督/脚本:ルネ・クレール
  • 撮影:モーリス・デファシオ 美術:ラザール・メールソン
  • 出演:アルベール・プレジャン/ルネ・ルフェーヴル/ルイ・アリベール


 結婚式の身支度をする花嫁とその家族と近親者たち。
 男たちは手袋が窮屈だったり、靴が小さくてなかなか入らなかったりする。母親にヴェールを頭に付けてもらっている花嫁。ピンが背中に入る。背中をもぞもぞさせる花嫁。母親は眼鏡をかけてピンを探すがなかなか見つからない。次第にいらつく母親。花嫁の支度をしている部屋に母親の父親が彷徨い込んでくる。いらついている母親は父親を邪険に追いだす。花嫁の父親の小さな靴がやっとのことで花嫁の父親の足に収まる。その手伝いをしていた窮屈な手袋の紳士はもう片方の手袋を見失う。必死に探す紳士。この紳士はこの映画中手袋の行方を気にし、映画が大団円で終わる時、この紳士の手袋も見つかる。

 導入部のシーンを紹介したが、このコメディ映画が細部のユーモアによって成り立っていることを分かってもらえただろうか。ストーリーは馬がイタリア麦で作られた婦人帽の一部を食べてしまったことによって動きだすが、ストーリー自体はまったく重要でない。重要なのは細部のユーモアなのだ。そのユーモアの中には、ルネ・クレールの機智が生き生きと息づき輝きを放っている。その輝きを味わうのが、この映画の正しい観賞の仕方だ。

 僕は「演説」のシーンが気に入った。
 耳が遠くなった老紳士。補聴管を持っているが、調子が悪い。演説している紳士の声が聞こえない。演説者に対して礼を失しないために、隣に座った花婿の様子を見ながら、老紳士はそれを真似する。花婿が笑えば、老紳士も笑う。花婿が感心した様子をすれば、老紳士も感心した様子をする。そこには確実に芸があり、観るものを笑いに誘う。最高に可笑しくなるのは花婿が執事から緊急の事態を耳打ちをされ、演説が一刻も早く終わるのを願い始めてからだ。花婿はいらいらし始める。老紳士は訝りながらも、模倣を続ける。その模倣の仕方が可笑しい。真似しながらも確信が持てないので、どこかおずおずとしている。花婿がいらつく余り、膝にのせた帽子の上で、指を動かし始める。老紳士もおずおずと帽子の上で指を動かし始める。ルネ・クレールここにありという感じで最高だ。

 ダンスのシーンでのクロス・カッティングの使い方も印象に残った。
 ダンスのショットと、花婿の、家を壊されるかもしれないという不安に基づく家が壊されるショットが交互に映し出される。ダンスをする人々が作りだすリズムが、クロス・カッティングを支え、上手いなあと感じたのだ。

1999/03/19