- 1999年ドイツ映画 1/24シネマライズ
- 監督:ヴィム・ヴェンダース
- 撮影:ロビー・ミュラー
- 出演:ライ・クーダー/イブライム・フェレール/ルベーン・ゴンサレス
キューバとアメリカ。キューバという国はアメリカという巨大な国のことを考えずには捉えることはできない。キューバの誇り高い老ミュージシャンたちはアメリカの心臓部であるニューヨークに行き、素直にその都会が持っているエネルギーに感動する。キューバン・ミュージックそのものが、アメリカで生まれたジャズも含めたポピュラー・ミュージックを母胎にして生まれたことに目を向けるならば、それは当然のことなのだろう。
ヴィム・ヴェンダースの視線は音楽に焦点を絞るというよりは、キューバという国、その国で生きる人々に向けられている。この映画はヴェンダースのキューバ国家論なのだ。いやそれは違う。むしろこう言うべきだろう。ヴェンダースはキューバという国を通してドイツという国もそれ無しにはあり得ないアメリカ、そのアメリカとは何かということを探求しているのだ。
ここにライ・クーダーというミュージシャンがいる。彼は例えばテックス・メックスといったポピュラー・ミュージックの王道から外れた音楽を終始一貫好んで取り上げてきたが、それは彼の趣味の問題ではなく、そこにアメリカという国の相貌が如実に現れていたからなのだ。彼の生に重く圧し掛かるアメリカという国の考察が彼の音楽なのだ。彼の音楽はアメリカ探求の旅なのだ。
だからこそヴェンダースはキューバを通したアメリカ探求の道連れにライ・クーダーを選んだのだ。そのライ・クーダーはキューバ音楽を心から美しいと言う。
なぜ彼はキューバ音楽を美しいと感じるのだろうか?その解答は映画の中にある。キューバの老ミュージシャンたちはアメリカに憧れながらも、けっして自分の魂をアメリカに媚びさせることはしない。彼らの魂は遠くアフリカから守られているような印象を受ける。地理的なアフリカでなく、マザー・オブ・アースとしてのアフリカが彼らの魂を守っている。それはアメリカという国の中でどう生きるかの一つの大きなヒントになっている。
キューバからロスに帰る飛行機の中で老ミュージシャンたちの音楽に聞き惚れるライ・クーダー。彼は音楽家として感動しているのではなく、真摯に生きる一人の人間として感動しているのだ、そう僕は感じた。
2000/01/24