2016/02/27

遊侠一匹 沓掛時次郎


  • 1966年東映京都 10/25NFC
  • 監督:加藤泰 脚本:鈴木尚之
  • 撮影:古谷伸 音楽:齋藤一郎
  • 出演:中村錦之助/池内淳子/渥美清


 無音の空間で編笠が空高く投げ上げられ、刀身が光をきらめかせながら抜かれる。タイロル・ロールのそのシーンだけでもこの映画には観る価値がある。
 そのシーンは渥美清演じる侠客見習いのコミカルなシーンから繋がれている。それ故にそのシーンが持っている悲劇性が強調される。哲学的な表現を使うならば、そこにあるのは暴力をその本質として持たざるを得ない人間存在の悲しみだ。

 映画の中盤荘厳とも言える三角形構図が出現する。
 その三角形は三人の人間によって作られる。男とその男によって夫を斬り殺された女と女の子供だ。三角形の頂点を作るのは画面の中央やや右寄りに立っている男だ。女は底辺の右側の点を作る。画面の奥小さく映っている子供は底辺の左側の点を作る。女は俯いて道にしゃがんでいる。心配そうな男の顔。女は呟く。どうしてあなたのような優しい人が人を切り殺したりなど・・・。女のその言葉はたぶん男には支えることのできないものだ。女の言葉は悲劇的な三角形構図が支える。その時、三角形構図はほとんど宗教的なものになる。

 映画の前半時次郎は渡世の玄人として出てくる。時次郎は侠客の醜さ、浅ましさを充分知った上で、飄々と生きているように見える。しかし結局は暴力へと巻き込まれてしまう。
 鬼神となった時次郎から感じられるのは恐ろしさではない。深い悲しみだ。暴力の中でしか生きられない者の悲しみだ。

 映画の最後時次郎は追い打ちのように暴力の虚しさを見せつけられ刀を捨てる。画面の奥へと消えていく時次郎。
 しかし時次郎は再び刀を拾うだろう。それが生きることなのだ。

1997/10/25