2016/02/26

秀子の車掌さん


  • 1941年日本映画 4/9NFC
  • 監督/脚本:成瀬巳喜男
  • 撮影:東健 音楽:飯田信夫
  • 出演:高峰秀子/藤原鶏太/夏川大二郎


 東京国立フィルムセンター「日本映画の発見」特集。

 成瀬巳喜男のものでは僕は「めし」が一番好きだ。
 成瀬巳喜男と小津安二郎を比べた時、小津の厳粛さに対して成瀬の人をふうわりと包む温かさが際立つように思える。
 「めし」のラスト・シーンでは日の差す列車の中で夫は妻が戻ってきてくれた安心感と仕事の疲れで居眠りをする。妻はそんな夫に母親が子供を見る時のような慈愛に満ちた眼差しを注ぐ。妻はあるがままの夫を受け入れる。それは妻が自分の平凡な生を受け入れることを意味するだろう。そのシーンには深い幸福感があった。

 タイトル・ロールではバスのフロント・ガラスから見える平凡な田舎の景色が映しだされる。
 車掌が次はどこどこでございますと案内する。運転手はそっと後ろを見る。誰もいない。車掌は景気づけに言ったのだと説明する。二人の乗るバスはライヴァル会社のバスに乗客を取られてしまっている。二人はこの分じゃ今月分の給料も危ないんじゃないかと話し合う。車掌は自分の靴を見る。破けている。
 二人の置かれている状況はかなり深刻だ。しかし映画は明るい。画面には陽光が満ちあふれている。二人も給料が出ないかもしれないのにどこか人ごとのようにのんびりしている。

 二人の楽天さの奥にあるものが明らかになる。二人は自分がやっている仕事に誇りが持ちたいのだと言う。極端に言えば二人にとって会社や給料はどうでもいいことなのだ。二人が大切にするのは誇りを持って生きていけるかどうかということなのだ。

 そんな二人はなんとか乗客を取り戻そうと知恵を絞る。
 観光案内をすれば喜んでもらえて乗客も戻ってくるんじゃないかと二人は考える。二人は観光案内の文案をたまたま地元の旅館に滞在している小説家に頼む。

 そんなこんなでいろいろあって、ついに二人はバスの中で観光案内をする。
 その時会社は路線に見切りをつけてバスを売る契約を結んでいる。

 観光ガイドをする車掌。それをこちらまで楽しくなってしまう幸福感に包まれながら聞いている運転手。その時二人は職を失っている。
 でもだからこそ二人の幸福感が際立ってくる。二人の幸福感は本物だ。

 バスは陽光の輝きの中を走る。
 成瀬ってやっぱりいいなあと思った。

1997/04/09