2016/02/27

やくざ絶唱


  • 1970年大映映画 12/4NFC
  • 監督:増村保造 脚本:池田一朗
  • 撮影:小林節夫 音楽:林光
  • 出演:勝新太郎/大谷直子/田村正和


 増村保造監督の映画では、イタリア留学から戻ったばかりの頃に作られた映画が印象に残っている。そこには明るい光と風が充ち満ちていた。

 その光と風がここでは沈潜し、黒い情念が主調音となり、映画を支えている。光と風は沈潜はしているが、無くなりはしていない。どこかから軽やかな潮騒の音が聞えてくる。

 この映画に命を与えているのは、勝新太郎というよりは大谷直子の演技だ。勝新太郎演じるやくざの兄に妹を演じる大谷直子が憎しみの言葉を浴びせるとき、大谷直子の目や仕草は激しく兄に向かって私を見て、私を愛してと語っている。大谷直子がホテルで寝た男を連れて家に帰り、兄に向かって私はこの人と寝た、私はこの人を愛していると言うとき、その目や仕草から私を愛して!という兄に対する必死の叫びが聞えてくる。

 近親相姦という「ありふれた」テーマが、大谷直子の演技によって、ギリシャ悲劇の高みまで高まっていると言ってもいい。愛は禁忌によって阻まれるとき、極限まで高まる。しかし極限まで高めるためには、禁忌が俳優の演技の中で肉体化されていなければならない。大谷直子が初めてスクリーンに登場するとき、すでにそこでは禁忌が視覚化されて在る。僕たちは不吉なもの、悲劇を予感する。その予感が愛を日常の頚木から解き放ち、天空への彼方へと上昇させるのだ、と滑稽なことを承知で詩的に言おう。

 もちろん大谷直子の背後には増村保造監督の演出がある。女性の情念を引き出すことにかけてこの人の右に出る人はいないだろう。もしかしたら増村保造が一番共感を寄せているのは、太地喜和子演じる勝新太郎の愛人かもしれない。一見あばずれだが、愛に関しては世界で最も純真な女性。その女性の激しい罵りの言葉の中から、ふと純情が溢れる。その純情は兄と妹の禁忌の愛の背後のメロディーとなって禁忌の愛の美しさを際立たせる、と記しておこう。

 無数の銃弾を浴び血の赤に身体中を染めて、床に無様に倒れた勝新太郎。カメラは彼の顔をクロース・アップで捉える。彼の目が動く。そして唇が動く。その唇が囁いたのは最愛の人の名前だろう。唇の動きが止まると、目が閉じられる。勝新太郎の顔は驚くほど穏やかだ。ここにあるのはこの世で最も美しい愛の物語なのだ。

1998/12/04