2016/02/27

新釈四谷怪談


  • 1949年松竹京都映画 8/16NFC
  • 監督:木下恵介 脚本:久坂栄二郎
  • 撮影:楠田浩之 美術:本木勇
  • 出演:田中絹代/上原謙/滝沢修


 怪談とは人間の情念が、それがどんなものであれ、作り出す魔についての物語であるならば、まさにこの映画は怪談だ。

 幽霊とは情念の中で作られていく魔の結果であるとするならば、怪談において幽霊そのものはさほど重要性を持たない。重要なのは魔の生成過程なのだ。そしてこの映画はその魔の生成過程を克明に追い、僕たちを魔と真正面から向かい合わせる。気弱なヒューマニストである男が情念の中で強烈な魔を生み出してしまう。それこそが恐ろしいのだ。

 笑われてしまうかもしれないが、この映画は戦後ヒューマニズム批判の映画なのだと断言してしまおうか?主人公の男は、善にも悪にも徹することができない。ただただ可哀想だという思いで動くエゴイストなのだ。その結局は自己中心的なものでしかあり得ないヒューマニズムが不可避的に魔を生んでしまう。その魔に支配されてしまったのが戦後の日本ではないか?

 戦後ヒューマニズムの駄目さ加減を露にしているのは「悪人」直助なのだが、直助の悪人ぶりは実に小気味がいい。悪という論理に見事に従い、迷うことが無い。その鮮やかな直助の生き様が、伊右ヱ門の自分しか見えていないヒューマニズムを断罪する。

 紅蓮の炎の中から絶叫される「許してくれ」という言葉に、僕たちは同情を感じてはならない。唾を吐くべきなのだ。

2000/08/16