2016/02/27

カルメン故郷に帰る


  • 1951年松竹大船映画 11/9NFC
  • 監督/脚本:木下恵介
  • 撮影:楠田浩之 音楽:黛敏郎
  • 出演:高峰秀子/佐野周二/笠智衆


 カラー版はたびたび上映されているが、今回上映されたのはカラー版と別途に製作されたモノクロ版だ。両者の違いを比較考察するという興味は僕にはまったく無いので、通常と同じように感想を書くことにする。

 田舎から都会に家出した末娘がストリップ嬢となって帰ってくる。ここにはいろんなテーマが見え隠れするのだが、たぶん一番重要なのは、性の在り方だろう。
 この映画で最も魅力的なシーンは、ストリップ嬢となって故郷に帰ってきた女性とその友人が明るい陽光の下、浅間山を背景にした自然の中でストリップ・ダンスを踊るシーンだ。そこでは性は暗く陰湿な場所から、開放的で輝きに充ちた場所に置かれている。性は否定すべきものから、肯定すべきものへと大きく変わっている。それはそのまま戦後の日本における生の在り方の変化に対応している。

 その生の変化そのものは歓迎すべきものだが、結局は資本家に利用され、金儲けに利用される。性は暗闇から光の中に躍り出た途端、金儲けの道具となり、「堕落」する。性は金に還元され、その独自の価値を失う。言い換えれば、性は他の欲望、例えば食欲や物欲と同列のものとなる。

 性が資本の論理の中に取り込まれる時、田舎は崩壊する。なぜならば性こそは田舎の大家族制度を支えるもので、隠されながらも神聖なものなのに、金儲けの手段となりその神聖さを失い、もはや大家族制度を支えきれなくなるからだ。
 それは簡明に言えば、田舎の都市化と言うことができるが、この映画はその中で滅びていく田舎への郷愁をその中心に持っていると述べることができるかもしれない。

 この映画で、まったく無邪気に田舎を破壊する者として現れる女性は、小さい頃大きな一本の木の下で牛に蹴られて泡を吹いて倒れている。父親はその頃から末娘はおかしくなったと言うが、大げさに言えば、牛に蹴られることによりその女性は異端となり、異端であるが故に、破壊者となるのだと言えないこともない。

 この映画は戦後の日本の在り方を見事に描いている。金が全てになり、良きものが滅びて行く社会。でもその社会には活気がある。その活気を象徴するのが天衣無縫なカルメンなのだ。

1999/11/09