- 1969年フランス映画
- 監督/脚本:ジャン・ルノワール
- 撮影:ジョルジュ・ルクレール
- 主演:フランソワーズ・アルヌール/ジャンヌ・モロー/ニノ・フォルミコーラ
今日からいよいよ東京国立フィルムセンターでジャン・ルノワール特集が始まりました。
上映後ルノワールのお気に入りの女優であったフランソワーズ・アルヌールの舞台挨拶がありました。アルヌールはお茶目なおばさんという感じの人でした。彼女はルノワールにとって女性はとても大切な存在だったと語りました。そう言えばルノワールが映画を撮り始めたのも妻のアンドレを有名にするためでした。
この四話から成る映画はルノワールの遺作となった映画で、エリック・ロメールが未来の世代のために一本だけ映画を保存するとしたら私はこの映画を選ぶだろうと言った映画です。
第一話はアンデルセンに捧げられたクリスマスの夜の話です。レストランで夕食を取る裕福な人たち。彼らは外にいる飢えた浮浪者を窓際に立たせて自分たちが食事をしているのを見学させるほど残酷です。この浮浪者はなかなかのしたたか者で笑いを誘います。いろいろあって浮浪者はレストランから豪華な夕食をもらいます。大きな夕食の包みを運ぶ浮浪者。彼には心から愛する女性がいて彼女のもとに夕食を運ぶのです。雪がやさしくゆっくりと降ります。君がいなければ退屈だ。飢えや寒さは我慢できるが退屈は我慢できない。愛ではなく退屈という言葉が出てくるところにジャン・ルノワールはヨーロッパ人なんだなあと感じました。シャンペンで乾杯して川縁の道路で踊る二人。突然二人の背後に浮かび上がる豪華なパーティ会場。素敵なシーンでした。心から楽しそうに笑う二人。疲れた二人は雪の中で寝ます。残った夕食はどうするの?貧しい人が食べるさ。寄り添って眠る二人。別の二人組の浮浪者が登場します。寝る場所を取られた彼らは腹を立てて二人を蹴ります。二人は目を覚ましません。二人は死んでいるのです。残酷な浮浪者たちは二人の幸福そうな顔に驚きます。そして僕たちは浮浪者が「貧しい人が食べるさ」と言ったとき「貧しい」という言葉にどんな意味を持たせたのか悟るのです。
第二話はファルス(笑劇)です。電気床磨き器に取付かれた女性の話です。床で滑って亡くなった前夫の後の夫を演じる俳優の演技が秀逸で気に入りました。どうしても電気床磨き器を使いたい妻と家にいる間は機械音から解放されたい夫のやりとりには最高のユーモアがありました。亡くなって額縁の写真の人となった前夫の演技?もなかなかのものでした。
第三話はベル・エポック(美しい時代)は美しくなかったというルノワールの語りから始まります。そこでは残酷さと裏切りがあった。だからこそ面白い時代だった。私はベル・エポックを愛する。
どんな話が始まるかと思えば黄色を基調にした素敵なドレスを着たジャンヌ・モローが舞台に立って歌うだけのものでした。ジャンヌ・モローのフル・ショットから顔のクロース・アップに徐々に移行し、またフル・ショットに戻りました。
息抜きのための幕間劇といった趣です。
第四話が僕は一番気に入りました。屋外の自然光を使った映像がとても印象的でした。陽光と風が溢れていました。ジャック・リベットの映画を始めて観た時を思い出しました。死とエロスというルノワールの重要な主題が浮かび上がりながらも、最後は光の中で全てが肯定されるのでした。
ルノワールはフル・セット撮影の第一話では照明の職人的使い方を観せ、対して第四話では自然光を最大限に利用した映像を観せ、第一話と第四話を方法上の対照性の上で響き合わせていました。
1996/11/05