2016/02/25

好男好女


  • 1995年台湾映画
  • 監督:ホウ・シャオシェン
  • 主演:伊能静/リン・チャン/ガオ・ジェ


第一回目の観賞

 「東京国際映画祭」を開催中の渋谷の街に出かけてきました。きょうは休日で、びっくるする程の人混みでした。僕のお目当ては、「アジア秀作映画週間」のオープニングを飾るホウ・シャオシェン監督の「好男好女」です。当日券は、100名分しかなかったようで、ぎりぎりセーフでした。

 国家を良くしたいと、純粋な情熱に燃えて活動した人達が、その情熱ゆえに、国家から抹殺されてしまう。そんな人達に捧げられた映画でした。でも、僕の心に残ったのは、別のものでした。死んでいった大切な人に対する想い。その想いが、現代と過去という2つの次元で美しく響き合う。その音色に魅せられました。

 僕が好きなのは、ホウ・シャオシェンというよりは、撮影のリュウ・チェンチュエンであることを改めて確認しました。静謐で端正な映像。大好きです。
 レースごしの明るく清潔な光り。モノトーンで捉えられる、美しい木漏れ日。枝を張った大きな木を額縁にして、捉えた遠景。眩しい陽光を遮って、布が床に影をつくっている。その影が、風で揺れる。その揺れる影のショット。部屋のシーンで、赤いランプシェード越しの光りを、中心に据えた色彩設計。

 上映後、ティーチ・インがありました。ホウ・シャオシェン監督は、ユーモアを交えながら、誠実に答えていました。興味深かったのは、ワン・ショット・ワン・シーンに関する話でした。「その方法を取るのは、役者の生き生きとした感情を殺したくないから。細かいカット割は、生き生きとした感情を殺してしまう」。そして、こう付け加えました。「最初のテイクが、いつだって最高だ。生き生きとしている」。
 ホウ・シャオシェンが小津映画を愛し、その影響を深く受けていることは、良く知られたことですが、求めるものは、全く正反対であることが分かりました。小津は、細かいカット割を基本にし、撮影に際して、何度もテイクを重ねました。それは、役者の持つ生の感情を殺すためでもあったでしょう。小津が求めたのは、生き生きとした感情ではなく、徹底的に抑制された感情だったような気がします。

1995/09/23

第二回目の観賞


 東京国際映画祭でこの作品を見て強い印象を受け、ちゃんとした映画館で見たいなと思っていました。最後にはめったにないことですが、僕の右目からは涙が頬に1筋流れたのでした。ジェームズ・キャメロンがある雑誌で「私はいまでも映画を見て泣くんだよ」と語っていましたが、映画を見て泣けるというのはたぶんとても幸福なことなのでしょう。

 この作品の中心になるのは、国家のことを真剣に考え、理想に燃えながら、その国家によって死刑になった人たちです。彼らは日本が中国大陸で侵略戦争を展開しているとき、日本と戦おうと台湾から大陸に向かいますが、日本軍のスパイと間違えられて危うく銃殺されそうになります。日本軍が降伏してからは台湾に帰りますが、中国共産党と国民党との内戦の分析を進めていくうちに、その内戦が経済闘争、持てるものと持たざるものとの闘争であったことに気付き、国家がよりよいものとなるには、公平な土地の分配が基礎になると結論し、その結論を人々に広めるために新聞を発行します。一方国民党が台湾に拠点を移し、朝鮮戦争が勃発しアメリカ軍の第7艦隊が台湾を巡航するようになり、台湾は対共産主義の最前線になります。そのような情勢の中で彼らは国家によって捕えられ死刑になるのです。
 彼らの行動や思想が正しかろうが間違っていようが、ともかく彼らは国家のことを真剣に考えて生きたのでしたが、大陸においても台湾に於ても彼らは国家によって否定されたのです。

 彼らの中の1人にジャン・ユーピという女性がいますが、女優であるリャンジンは撮影中の映画の中でそのジャン・ユーピを演じています。演技を通してユーピの国家に対する真っ直ぐな思いを体験していく中で、リャンジンは自分の中にあるいままでは殺してきた真っ直ぐな思いがあることに気付いていくのです。リャンジンのその思いは死んでいった恋人に対する思いでした。
 そして最後にはユーピの自分の国家に対する理想が夫の銃殺という形で帰ってきた悲痛な思いと、リャンジンの恋人を深く愛しているのにその恋人はこの世にいないという悲痛な思いが、リャンジンという女優の身体の中で共鳴し合い、1つになったのでした。

1995/12/09