2016/02/29

花様年華


  • 2000年香港映画 5/28銀座テアトルシネマ
  • 監督/脚本:ウォン・カーウァイ
  • 撮影:クリストファー・ドイル
  • 出演:トニー・レオン/マギー・チャン


 クリストファ-・ドイルの撮影が印象的だ。野暮すれすれの「才気」ばしった映像を見せる人がこの映画ではとても抑制の効いた撮影をしている。引っ越しで始まるこの映画はアパートというか一つの家が主人公の一人なのだが、家の矩形のイメージが必然的に抑えた映像を要求したという印象を受ける。矩形をしっかりと映像空間の中に取り入れることにより、端正なイメージがこの映画を支配し、二人の男女の心の動きを静かに追う。誤解を恐れずに言えば、現代的な小津安二郎という印象を受けた。小津の映画もまた家が主人公の一人であり、小津映画の端正さを作る大きな要因の一つになっている。

 ウォン・カーウァイの演出もまた抑制の効いたものであり、そこが印象的なのだが、クリストファ-・ドイルが時々「才気」を見せるように、ウォン・カーウァイ独特の演出も時折見られ、それがこの映画に不思議な命を与えている。映画の中の「演劇」、可能性の提示と現実の提示、時間線の前後、それらが繰り返され、不思議なリズムをこの映画に与えている。単調な時空を意識的に乱しながら、乱すことによって男女の心の動きを露にしている。ウォン・カーウァイのこの演出は演出のための演出ではなく、男女の心の動きを激させること無く、静かに抑えさせたまま、静かに抑えられた炎の強さを提示するための演出だ。ウォン・カーウァイは心を激させる代わりに、時空を乱している。

 ウォン・カーウァイ的と言えば、家に忍び込む女性という要素もこの映画にはある。恋人が住んでいる、恋人が不在の家で恋人を感じる女性。ここでもまた家という一つの空間がクローズ・アップされている。もしかして家という空間がこの映画をウォン・カーウァイに撮らせたのかもしれない。

 家という直線で構成された空間が、端正さを要求し、静かなラブ・ストーリーが出来上がっている。たぶん僕たちはその端正さを受け取ればいいのだ。

2001/05/28