2016/02/29

ブエノスアイレス


  • 1997年香港映画 10/16シネマライズ
  • 監督/脚本:ウォン・カーウァイ
  • 撮影:クリストファー・ドイル
  • 出演:トニー・レオン/レスリー・チャン/チャン・チェン


 同性愛映画という印象はほとんど残らなかった。
 残ったのは人を愛するということの切なさだった。

 強烈なセックス・シーンから始まる。このウォン・カーウァイ監督の突然の右ストレートが同性愛だとか異性愛だとかに拘る先入見を打ち砕く。人が人を愛する、そのことがあるだけだ。そして人を愛するとはその人と寝たいという欲望なのだ。その二つのことをウォン・カーウァイ監督は強く印象づける。

 人を愛することの切なさと言葉にしてしまうと、ずいぶん軽薄で嫌悪感さえ感じてしまうが、その切なさがこの映画の核だ。愛することの切なさがダイレクトに伝わってきて観終わった後もしばらくぼーっとしてしまった。
 こんなふうに書くと「ブエノスアイレス」はずいぶんシリアスな映画なんだなと思う人がいるかもしれない。でも「ブエノスアイレス」はお茶目でポップだ。ウォン・カーウァイ監督のフット・ワークはあくまでも軽やかだ。
 例えば、テーブルの上に置かれる大量のたばこ。それは笑いを誘いながら、愛の不可能も暗示している。

 そして卵を溶く音。その音は音に鋭敏で音を通して世界と繋がっている青年の存在によって愛するものの不安を伝えるものとなる。
 音楽にピアソラやフランク・ザッパが使われていると聞いて危惧していたが、音楽はポイントポイントで使われるだけだ。むしろ現実音の方が印象に残る。ウォン・カーウァイは耳がいい人だなあと思った。現実音を効果的に使っている。僕はトニー・レオンが夜の道路からビール瓶を拾い上げ割る時の乾いた音が印象に残った。

 冒頭のイグアスの滝の空撮の映像は強烈だ。目に焼き付く。滝の音は消されている。映画を観終わった時、その映像はトニー・レオンとレスリー・チャンがけっして手に入れることのできない愛を象徴しているのだと気付いた。

 もちろん愛は誰も手に入れることはできない。

1997/10/16