- 1996年フランス=イタリア=スイス映画 7/31シネ・ヴィヴァン・六本木
- 監督:エリック・ロシャン 脚本:ジェラール・ブラシュ
- 撮影:ピエール・ロム 音楽:スティーヴ・トゥーレ
- 出演:シャルロット・ゲンズブール/ジェラール・ランヴァン/サミ・ブワジラ
とても贅沢な映画だ。
真実を求めた映画でも、商業的成功を求めた映画でもない。なんの目的も無くこの映画は在る。もし目的があるとするならば、それは美だ。美が美のために存在している。だから「アンナ・オズ」とても贅沢映画なのだ。
美だけのために最高の技術が使われている。脚本はロマン・ポランスキーとの仕事で有名なジェラール・ブラシュ、撮影はブリュノ・ニュイッテン監督の「カミーユ・クローデル」も担当したベテランのピエール・ロム。僕は観ながら嬉しくなってしまった。こんな贅沢が映画にはまだ許される。TシャツにGパンという出立ちの僕は後悔した。せめてサマー・ジャケットくらいは着て来るんだった!
映像が始まる前に水音が聞こえてくる。「アンナ・オズ」は水のイメージに支配されている。水は夢と現実を結び付けるものであり、記憶を守り蘇らせるものでもある。
僕はエリック・ロシャン監督はマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の愛読者ではないかなと思った。「失われた時を求めて」で主人公が道路から足を踏み外し、段差のある石畳のある水の都ベニスで過ごした日々の記憶を一気に蘇らせる場面は素晴らしく感動的な場面だが、その箇所を映画を観ながら思い浮かべた。
パリとベニス。アンナ・オズはこれら二つの都会に同時に存在する。パリのアンナは神秘的な満月を眺め、ベニスのアンナは水の中に裸の身体を沈める。夢を見る者と夢見られる者。しかし夢を見る者は実際は夢見られる者であるのに自分が夢見る者だと信じているだけなのかもしれない。この映画の核となる恐怖はそこにある。果たして自分は実体なのか夢なのか?夢が現実を犯し食い潰す。
エリック・ロシャンはちゃんとキーを僕たちに与えてくれている。それは血と花瓶だ(これは映画を実際に観て確かめて下さい)。
マルセル・プルーストは記憶の中でこそものはその完全な姿を現すと書いた。それは人の生は記憶の中でこそ完全なものになると言い換えてもいいだろう。
それならば、記憶と夢を同類とした時、「アンナ・オズ」のエンドは、ハッピー・エンドだ。
1997/07/31