2016/03/06

無法松の一生


  • 1958年東宝映画 9/7NFC
  • 監督/脚本:稲垣浩
  • 撮影:山田一夫 音楽:団伊玖磨
  • 出演:三船敏郎/高峰秀子/飯田蝶子


 稲垣浩監督の演出力が光る映画。

 冒頭のファースト・ショットが印象的だ。
 軒先の提灯に灯を入れている初老の男をカメラは屋根の高さから真上から見下ろしている。カメラはティルト・アップするとそのまま屋根の高さを保ちながら道路沿いに引いていく。屋根が途切れるとそのままカメラは室内側に下に降りながら回り込み、道路側から反対の側に高床の高さで止まる。開いた玄関戸から子供を叱る母親が見える。そんな悪さをすると巡査さんにやるぞ!母親の真後ろに白の制服に身をかためた巡査が立つ。慌てて立ち去る母親と子供のコミカルなアクション。
 そこまでがワン・ショットだ。クレーンを使った技巧的なショットだが、技巧のための技巧になってない。そのショットは映画を平板性から救い、映画に深みを与えている。

 そのような技巧的なショットはところどころ効果的に使われている。例えば無法松が軍人未亡人の息子と節分の豆まきをするシーン。戸を開けて豆をまくところがロング・ショットで撮られるが、並の監督だったらミドルからクロースで撮るところだろう。ミドルからクロースで楽しそうな無法松と息子の表情を捉え、二人の繋がりを強調するだろう。稲垣浩監督はそうしない。未亡人の住む屋敷の門の屋根を手前になめながら、二人をロングのクレーン・ショットで撮る。二人はシネスコープの中で小さく映るが、その結果二人は屋敷に溶け込む。二人は清楚な未亡人をそのまま現したような屋敷に包まれている。映画の主題が控えめにそして心に触れる形でここでは提示されているのだ。

 美術も素晴らしい。特に夕焼を描いたホリゾントが素晴らしい。あの夕焼空の赤はまだ子供の無法松の悲しさ、寂しさを効果的に伝えてくれた。いまはロケーションというか実写がほとんどになってしまっているが、ホリゾントの効果はいまでも有効だろう。それは映画をより雄弁にしてくれる。

 この映画のクライマックスは無法松が博多太鼓を敲くシーンだろう。無法松を演じる三船敏郎のアクションが印象に残る。力強く、実に粋だ。三船敏郎のアクションは無法松の悲しさ、寂しさを青空の煌めきの中に溶かし込む。
 このシーンがあるからこそこの「悲恋」を描いた映画は爽やかさを獲得しているのだ。

 終とスクリーンに出たとき、僕は拍手したくなった。そんな映画を観たのは久しぶりだ。

1999/09/07