- 1978年フランス映画 12/11NFC
- 監督/脚本:フランソワ・トリュフォー
- 撮影:ネストール・アルメンドロス 音楽:モーリス・ジョベール
- 出演:フランソワ・トリュフォー/ナタリー・バイ/ジャン・ダステ
人は心の底から感動したときには言葉を失う。
だからここには言葉はない。
そんなふうに書くのが最も正しい。
しかし言葉を書き連ねる他はないのでそうしよう。
自分の妻の死から逃れることのできない一人の中年男。
地方のほとんど過去のものとして忘れ去られようとしている雑誌の記者として在ることに満足し、他人に対する寛容を欠いた中年男。
そんな人間が身近にいれば、僕は付合いにくい変わり者として避けるだろう。ましてやその内面に入り込み理解するということを行うことなど夢にも思わないだろう。
ここに『緑色の部屋』という映画があって、その夢にも思わないことを僕にさせる。
死者に向いて生きる男の真摯さに僕は触れる。聖拝堂を自費で再建しそこに自分と関わっていった死者たちの写真を祀る男は外から眺めるならば狂っているとしか思えないが、一度その内面に入り込めば、その切なさに共感する。
男は生きて苦しみ楽しんでいた人間たちが死によって忘れ去られてしまうのが、許せないのだ。
その忘却は男が生きて苦しみ楽しんでいる、その苦しみ、喜びを否定してしまうだろう。
男は自分自身の生を救うためにせめて自分だけでも、死者たちを心の中に生きさせようとするのだ。
男が最後に「なにもなかったんだ」と言うとき、男が守るのは死者たちだ。
男の思いは生を向いて生きることを選び取った者によって受け止められる。
その意味はなんだろうか?
男の思いを受け止めた者の静謐な表情で映画は終わる。
1997/12/11