- 1930年ドイツ映画 4/2NFC
- 監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ 脚本:カール・ツックマイヤー
- 撮影:ギュンター・リッタウ 美術:オットー・フンテ
- 出演:エミール・ヤニングス/マルレーネ・ディートリッヒ
マルレーネ・ディートリッヒが光の魔術師と呼んだジョゼフ・フォン・スタンバーグ目当てで観に行ったのだが、いざスクリーンに映像が映し出されると僕の目を捉えてしまったのはエミール・ヤニングスの演技だった。
ギムナジウムの教師というと当時はかなりの尊敬を集めた地位だ。
その地位にある謹厳な名誉ある人間が踊り子に恋をして破滅する。
よくある話だ。
謹厳な人間は肉体的欲望に充ちた世界にいままで知らなかった光を見出し、夢中になり、その世界に生きている人間は欲望から無縁に生きてきた人間の純情さにほだされる。
このよくある話に説得性を持たせるには、欲望の世界を代表する人間は魅力的でなければならならいだろう。
それではこの映画はその人間を演じたマルレーネ・ディートリッヒの映画かと言うと、それは言えない。
極端に言えば、「美しい」女性であればこの人間は誰が演じても変わりない。
この映画の主題は欲望の世界に生きる人間の魔性ではなく、恋という情熱、或いは暴力に捕らわれてしまった人間の有り様だからだ。
その人間をエミール・ヤニングスは実にリアリスティックに演じて見せる。
日常性から人を引き摺り出す恋という「暴力」は大抵の場合人に悲劇ではなく、喜劇を演じさせてしまう。
この人間に訪れるのもロマンスでなく、道化芝居だ。
彼は恋によって、尊敬されるべき地位から酒場向けのショーをやる旅芸人に「身を落とす」。
それを彼はドン・キホーテ的騎士気取りでやってのける。
それを実に上手く説得性を持たせながらエミール・ヤニングスは演じる。
3ヶ月前に観た映画なので、具体的に指摘できないのが残念だ。
もともと欲望の世界と無縁な人間は旅芸人として役に立とうはずがない。
屈辱の日々。
結婚生活が3年も持ったのがこの映画の唯一の不思議さだ。
遂に彼は自分の「道化芝居」を酒場のショーとして演じなければならなくなる。
彼は狂気に陥る。
恋という暴力に巻き込まれ、喜劇の中で躍らされて、破滅した人間。
僕はこの人間を笑うことはできない。
もし映画が終わった時、この人間に僕たちが共感するとするならば、それは他のなにものでもない、エミール・ヤニングスの演技力によるものだろう。
エミール・ヤニングスは恋という暴力を実によく知っている。
2002/04/02