- 1996年フランス映画 3/18シネ・ヴィヴィン・六本木
- 監督/脚本:アルノー・デプレシャン
- 撮影:エリック・ゴティエ 音楽:クリシュナ・レヴィ
- 主演:マチュー・アマルリック/エマニュエル・ドゥヴォス/マリアンヌ・ドニクール
冒頭では陽光の軽やかさとパリを流れる暗く沈んだ川の重苦しさが鋭く対比させて示される。
ロメール的世界から一気にフリッツ・ラング的世界に移行する。
それは生と死と言い換えてもいいかもしれない。
主人公のポールは生と死を繋ぐ存在だ。ポールを取り巻く時間は時に軽やかに時に重苦しく流れる。
ポールは生に向きながら死を忘れない。というか死を畏れることを知っている。その意味でポールは死に近い者だ。死に近い者は穢れている。ポールは社会から遠ざけられる。大人になるとは死を忘れ、死に蓋をすることかもしれない。
ポールの昔親友だった人間はその意味で大人だ。
大切なペットのチンパンジーが死んだとき彼は自分のチンパンジーに触れようともしない。彼はチンパンジーの死体の始末を全てポールに任せる。
ポールが彼に握手を求めた時、彼はポールのチンパンジーの死体の始末した手は穢れていると握手を拒絶する。
彼は死を遠ざける。社会は彼を受け入れ彼は出世する。
そして彼はポールを軽蔑する。
ポールの恋人エステルがポールは永遠の子供であり、もしポールが大人になったらポールは堕ちて腐ってしまうと言うとき、エステルは誰よりもポールを理解している。
子供の時に書いた小説の中で自分の父親を「自分の影に怯える資産家」と表現した時、ポールはすでに生の無意味さを知っていた。
ポールは生の無意味さに耐えながら生きてきた。いやポールが子供の時小説を書いたのは生の無意味さに耐えるためだったのだ。
しかしポールは自分に才能が無いことを知っている。自分がけっして小説家になれないことを知っている。
ポールは想像の世界に逃れることはできない。ポールは現実と向かい合わざるを得ない。
もし人がポールという人間に感動するのならば、それは人がポールの中に生の無意味さに絶えず戦いを挑みその中から意味を掴みだしてこようとする勇気を感じているからに他ならない。
その勇気はポールだけでなくこの映画の登場人物が全員持っている。彼らは常に戦い挫折し傷つきそれでも戦う。映画が進むにつれ彼らが愛しくてたまらなくなる。
この映画は日常生活の背後にある虚無をしっかりと見据えながらも、生への励ましに満ちている。
僕はエステルに一番惹かれた。
エステルのこんな言葉は僕が聞いた一番美しい愛の言葉の一つだ。
「あなたの不在は私の魂にもたれ眠る」
1997/03/18