2016/03/16

この広い空のどこかに


  • 1954年松竹映画 4/5NFC
  • 監督:小林正樹 脚本:楠田芳子
  • 撮影:森田俊保 美術:平高主計
  • 出演:佐田啓二/久我美子/高峰秀子


 まだ戦争の影が色濃く落ちている東京の街。
 この映画はその東京の街の空撮から始まるが、そこには戦争の影は無い。
 次に続くシーンは東京駅の雑踏を地上すれすれに置いたカメラで捉えたものだが、そこにあるのも戦争の影ではなく、活気だ。

 華やかで活気のある東京の街。
 それが提示されてから、舞台となる酒屋が映し出される。
 酒屋を営む家族が登場し始めると、戦争の影がくっきりと現われる。

 そこに僕は監督の意志を感じる。
 戦争を忘れようとしているかのような活気に充ちた東京の街。でも戦争は東京の街に住む人々の一人一人に色濃く影を落とし影響を与え続けているのだ。

 だから僕はその戦争の影がこの映画のテーマなのだと言いたい。

 高峰秀子演じる女性は通常の見方で言うならば、せいぜい副主人公なのだが、僕は彼女こそ主人公なのだと記そう。
 酒屋の主人の妹である彼女は、空襲で片足が不自由になり、それが原因で婚約も破談になった。彼女は自分の殻に閉じ篭り、好きな琴ももう弾くことはない。彼女は自分の生を見失っている。
 その彼女が自分の生を再び見出すようになる過程を追ったのこの映画なのだ。

 もちろんそう書くとき、それが偏った見方であることは僕は充分に承知しているが、この映画の最後に挫折しながらも「空を見て」生きることを選んだ青年が登場することを考え合わせるとき、そんなに間違った見方でもないと僕は思うのだ。

 高峰秀子演じる女性も逆境の中にあって「空を見て」生きることを選ぶ。彼女は人生にロマンを持ち、それに自分を賭ける。
 その賭けこそが観る者の心を動かすのだ。

 ここで挫折しながらも「空を見て」生きる青年に登場してもらうならば、彼は最終的には人々の幸福の中で忘れ去られるように見えるが、彼は監督の観客へのメッセージなのだ。というか彼こそがラスト・シーンに満ちている幸福を支えているのだ。

 「空を見る」ということはロマンを持つということであり、そのロマンのために戦うということなのだ。
 その戦いこそが幸福に繋がる、それが監督のメッセージなのだ。

2000/04/05