- 1971年アメリカ映画 4/10シネ・アミューズ
- 監督/脚本:ジョン・カサヴェテス
- 撮影:アーサー・オーニッツ 音楽:ボー・ハーウッド
- 出演:ジーナ・ローランズ/シーモア・カッセル/ジョン・カサヴェテス
ニューヨークでは孤独な余り奇妙になってしまった人々が登場する。奇妙な中年男に捉まりながらも彼の言葉に親切に応対する男もまた別の場所では奇妙な行動を取り、遂には屈強な男たちに叩きのめされる。
彼はロスアンジェルスへと生活の拠点を移すが、そうするとき彼はニューヨークの孤独から逃げ出そうとしているのだろうか?
彼は駐車係で満足するような男だが、彼は車を愛し客を愛している、つまり彼は仕事を愛している。彼は孤独な余り奇妙な人間になってしまっているが、基本的には生きることを愛している人間だ。
だから彼のロスアンジェルス行きは、むしろ彼の孤独との戦いなのだと見るべきだろう。彼は孤独から抜け出してどこか光の差す場所を目指す。
ロスアンジェルスにあるのもまた孤独だ。
彼が出会うのは孤独に苦しみ奇妙になってしまった女性だ。彼らは互いを孤独から自分を救い出す存在と見做し、惹かれ合うというよりは、孤独において共感しているのだ。
彼らは互いに優しい言葉を投げ与えはしない。彼らはほとんど憎しみの言葉である言葉をぶつけ合う。彼らは孤独の苦しみを相手に赤裸々に見せ合っているのだ。
暴言と暴力。それら二つの中で、彼らは孤独と正面から対峙する。それならばそれら二つこそ光へと向かう出発点なのだ。
キルケゴールは孤独を知る魂こそが愛を知ることができると記したが、彼ら二人にこそこの言葉は贈られるべきだろう。
ロスアンジェルスの二人の男たち。家庭を持った男と離婚した男。
彼らには自分のことしか見えていない。彼らには自分の傷しか見えていない。彼らにはミニーの孤独が見えていない。
だから彼らには愛は不可能なのだ。
2000/04/10