ジョン・カサヴェテスは、映画は、人がどうしようもなく抱え込んでいる切実な生の問題に応えてくれるものなのだと固く深く信じ、情熱の全てを映画に注いだ人です。
このフィルモグラフィーが、譬えたった一人であっても、その人のカサヴェテス映画への道案内になれば、これほど嬉しいことはありません。
No. | 年 | 題名 | 紹介 |
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1 | 1959 | アメリカの影/Shadows | 人種問題という社会派的な枠組みを持ちながらも、本質はハリウッド的映画に対する強烈なレジスタンス。即興を中心に据え、従来の映画手法を徹底的に否定してみせると同時に、その「新しい」手法の有効性も証明した。 |
2 | 1961 | よみがえるブルース/Too Late Blues | 才能を巡っての苦渋に満ちた物語。パラマウント社が要求する「効率性」はカサヴェテスのスタイルには当然合わず、彼が満足できる作品は作れなかった。興行的にも失敗。 |
3 | 1963 | 愛の奇跡/A Child Is Waiting | 心を閉ざしてしまった少年の姿を描く。United Artists社からの指名だったが、プロデューサーは子供たちの生き生きとしたリアリティを描いたカサヴェテスの仕事に満足せず、編集で全く別の作品にしてしまった。カサヴェテスはプロデューサーと徹底的にやり合い、結果完全に失業した。 |
4 | 1968 | フェイシズ/Faces | 長い結婚生活がその空虚さを露わにしていく様を描く。ハリウッドから追い出されたカサヴェテスは独立資本で映画を製作することを決意し、それを実行した。ヴェネチア国際映画祭で受賞する等、作品としても評価され、興行的にもある程度の成功を収めた。 |
5 | 1970 | ハズバンズ/Husbands | 3人の中年に差し掛かった男たちを描く。彼らは死に向かい合わざるを得ない。出演したピーター・フォークはこの非ハリウッド映画が理解できなかった(二度と出演しないと宣言)。編集に時間がかかり、公開されたのは第6版。 |
6 | 1971 | ミニー&モスコウィッツ/Minnie and Moskowitz | 偶然出会った男女が結婚するまでを描く。ハッピーエンドだが、結婚制度には一貫して反対していたカサヴェテスの目は冷徹。当時仕事がなかった若きマーティン・スコセッシが音響効果で参加している。 |
7 | 1974 | こわれゆく女/A Woman Under the Influence | 女性は結婚すれば、夫婦という社会的関係の下で、そして妻という役割、母親という役割の中で生きていく。そのごく普通のことによって一人の女性が押し潰されこわれてゆく。カサヴェテスは決して安易になぜとは問わない。理解して逃げようとせずに、目を逸らさずに真摯に対峙する。 |
8 | 1976 | チャイニーズ・ブッキーを殺した男/The Killing of a Chinese Bookie | カサヴェテス版フィルム・ノワール。舞台に誇りを持っている、場末のショー・クラブのオーナーが主人公。主演のベン・ギャザラは主人公とそのクラブは映画監督としてのカサヴェテスのメタファーなのだと言っている。 |
9 | 1977 | オープニング・ナイト/Opening Night | 才能の衰えに直面した一人の女優についての作品。表現者を描いたと言ってもいいかもしれない。主人公のマートルは、演技することに全てを懸け、断固として演技を追求する。その姿勢は周囲との衝突を招くが、彼女は決して譲らず、最期に勝利する。カサヴェテスは言う。彼女はなにかを勝ち取る訳ではない。しかし彼女は満足する。そんな彼女に私は感動してしまうんだ。 |
10 | 1980 | グロリア/Gloria | カサヴェテスがコロンビア映画社というハリウッド大手の元で久しぶりに撮った作品。リュック・ベッソン『レオン』の原型とも言えるかもしれない。会社側は満足せずオクラ入りになるところを、スピルバーグが絶賛し公開となった。作品的にも高く評価され、興行面でも成功した。 |
11 | 1984 | ラヴ・ストリームス /Love Streams | 無意味な生の流れの中で、その無意味さに立ち向かいながら、なんとか生の意味、愛の流れを見出そうとし、それを試み続けている姉弟についての作品。カサヴェテスは僕が関心があるのは、愛だけであり、そしてそれを失うことだけだと言っているが、その言葉は生に意味があるか、それとも無意味なのかと言い換えてもいいだろう。 |
12 | 1986 | ピーター・フォークのビッグ・トラブル/Big Trouble | ハリウッド式コメディ。カサヴェテスは自分の作品とは認めていない。ピーター・フォークとの友情から止む無く監督を引き受け、その上最終編集権まで奪われた。しかしカサヴェテスらしさは随所に観ることができる。 |
※参考: 『カサヴェテス・コレクション』