2016/03/04

奇跡の海


  • 1996年デンマーク映画 4/18シネマライズ
  • 監督/脚本:ラース・フォン・トリアー
  • 撮影:ロビー・ミュラー 音楽:マーク・ウォーリック
  • 出演:エミリー・ワトソン/ステラン・スカルスゲールド/カトリン・カートリッジ


 子供映画(「名犬ラッシー」)を全身全霊で観ているベス。ベスの目はきらきら輝き口は開かれている。「レオン」で腕は超一流だが、少し頭の弱いプロの殺し屋が呆けた顔をしてジーン・ケリーのミュージカル映画に見入っていたシーンを思い出した。ベスも頭が少し弱い。
 インタヴューでラース・フォン・トリアー監督は自分の娘たちと子供映画を観にいって自分の方が泣きだしてしまい、逆に娘たちに慰められたという話をしていた。トリアー監督が知恵遅れだ言うつもりは毛頭無いし、実際そうではないが、トリアー監督も子供の頃精神科のサナトリウムに入っている。
 僕にはトリアー監督も含めて彼らはドストエフスキーの「白痴」の主人公ムイシュキン公爵の後裔のように思える。

 ドストエフスキーは「白痴」に関して「この小説の意図は、完全に美しい人間を描くことです」と述べている。トリアー監督は善という言葉を使う。「ずっと以前から、善がすべての推進力になっている映画を作りたいと思っていたんだ」。
 ベスを愛し理解していた医師が法廷に提出した診断書に書いた言葉がこの映画の全てを述べている。「ベスは善い人間になろうと苦しんでいた」。
 さらに医師の言葉を進めるならば、ベスは善であるが故に苦しむのだ。ベスは純粋な善だ。ベスは「完全に美しい」。純粋な善はめったに存在しないとトリアー監督は言う。僕にはむしろ純粋な善はこの世には存在することができないのだと思う。社会にとってたぶんベスは危険な存在だ。だからベスは社会から追放されムイシュキン公爵のように破滅する。

 ロビー・ミュラーの手持ちカメラは親密に愛情深くきらめくベスの「美しさ」を捉える。そしてベスはまっすぐにカメラのレンズを見つめる。その時間は僕にとってとてもスリリングな時間だった。ベスの視線は映画の虚構性を明らかにするが、同時に現実にここにある生を呼び寄せ真実という宝石を作った。いまはここまでしか言葉にできない。

 ラスト・シーンはとても美しい。

 ドストエフスキーは完全に美しい人間を描くほどこの世で難しいことはないと書いているが、トリアー監督はそれに成功している。

1997/04/18