2016/03/06

百一夜


  • 1994年フランス映画 3/28シネセゾン渋谷
  • 監督/脚本:アニエス・ヴァルダ
  • 撮影:エリック・ゴチエ
  • 主演:ミシェル・ピコリ/マルチェロ・マストロヤンニ/ジュリー・ガイエ


 例えばここに一人の写真家の写真集がある。
 手に取り表紙を開き一枚一枚の写真を観ていく。その写真家が若い頃は恋人たちの写真はフレーム一杯に撮られている。写真家が晩年にさしかかり死を意識し始めると、恋人たちはもうフレームを占領することはない。小さくしかも中心から外れて写されている。写真の手前には小動物の死骸があるかもしれない。その写真は生ではなく死の方を向いている。

 僕はこの映画を観ながらそんな写真を思い浮かべた。
 アニエス・ヴァルダももう晩年を迎えている。そんな彼女が届けてくれた映画は死の方を向いた映画だった。映画の中で引用される映画も死や喪失をテーマにした映画が多かった。
 死神の訪問を受けるムッシュ・シネマの身の回りに女性のヌードをテーマにしたものが多いのも死への意識の強さを逆に強調していた。

 この映画では老年にさしかかった者も含めた意味での老人たちと若者たちが対比的に描かれていた。そして老人たちの方が得体が知れずなんとも魅力的だった。僕はジャンヌ・モローに惹かれた。筋金入りの不良という感じがしたのだ。それはとてもかっこいいことだ。僕ももう少し年を取ったらこんな不良老人になりたい。間違っても聖人君子にはなりたくない。

 僕が一番嬉しかったのはアニエス・ヴァルダが庭のパーティーのシーンでマルグリット・デュラスの「インディア・ソング」の象徴的な場面をそのまま再現していたことだ。
 デュラスはインタヴューであなたはなぜ小説を書き映画を撮るのかと聞かれて不安と恐怖から逃れるためと答えている。デュラスの日常は非日常的日常だったのだ。デュラスは常に死と孤独に向かい合っていた。
 そんなマルグリット・デュラスの映画の一場面を再現してみせたアニエス・ヴァルダもまた死と孤独に向かい合っている。僕はそう感じた。

1997/03/28