2016/03/14

螢火


  • 1958年歌舞伎座映画 9/8NFC
  • 監督:五所平之助 脚本:八住利雄
  • 撮影:宮島義勇 美術:平川透徹
  • 出演:淡島千景/若尾文子/森美樹

※写真は五所平之助

 『無法松の一生』での稲垣浩監督の演出の素晴らしさに強く心を動かされたばかりだというのに、また今度は五所平之助監督の優れた演出に心を打たれた。

 五所平之助監督もまた画面の奥行きを生かした映像作りをする。
 例えば主人公の寺田屋の女将が身分違いで嫁入りをするシーン。船宿、寺田屋の格式の高さが、寺田屋を平面的でなく、立体的に奥への広がりも見せながら映像として提示することよって、観客に明確になり、貧農の娘である若い女性の不安を如実に伝えていた。

 寺田屋は「寺田屋の変」の寺田屋であり、歴史的な場であり、また坂本竜馬という極めて歴史的な人物も登場するが、五所平之助監督の登場人物たちの心の動きを丹念に拾う演出は、観客の目をしっかりと寺田屋の女将という一人の庶民に注がせる。その結果この映画は一つの美しい魂の軌跡を描くことに成功している。

 淡島千景は背筋のすっと伸びた俳優だが、後半様々な試練が登場人物に襲いかかっても、背筋は曲げられることはない。夫の愛人に寺田屋を奪われそうになり、自分の恋も破れという状況でも、淡島千景は背筋を曲げるという類型的な演技はしない。背筋を伸ばしたまま耐え、どこからか新たな力を見つけ出す。そんな淡島千景の演技が主人公をとても魅力的にしていた。

 五所平之助監督は江戸時代という封建社会から、明治時代という近代国家へと日本が大きく変わる激動の時代に、一人の庶民を置き、その魂が時代と呼応しながら美しく輝くのを描こうとしたのだと言えるし、それに成功しているとも言える。

 この人間は坂本竜馬を通して遠く輝く光があることを知るのだと書いてもいい。この人間もまた寺田屋という形をとった世界の中で生きながら、その世界を辛いものだと感じているが、世界の彼方には光があることを坂本竜馬を通じて知るのだ。その光を恋だと言うならば、その人は完全に誤っているのであって、敢えてその光を名付けるとするならば理想という言葉を使うべきだろう。

 でもこの人間は理想に殉じ彼方へとは赴かない。
 この人間は最終的には日常的世界を選び、その中で生きていこうとする。

 そこには如実に五所平之助監督の思想があり、僕はその思想に心を動かされた。

1999/09/08