- 1996年フランス映画 5/14シネセゾン渋谷
- 監督/脚本:オリヴィエ・アサヤス
- 撮影:エリック・ゴーチエ
- 出演:マギー・チャン/ジャン=ピエール・レオー/ナタリー・リシャール
有楽町西武のショーウィンドウに貼ってあった「イルマ・ヴェップ」のくしゃくしゃのフランス版ポスターには"MAGGIE CHEUNG IN A LATEX COMEDY BY OLIVIER ASSYAYSAS"と書いてあった。
冒頭のシーン。たぶん初代のコンパクトな一体型のマック。T2のシュワルツェネッガー。コカ・コーラ。ミシェル・ファイファーのキャット・ウーマン。アメリカを象徴するものが次々に画面に提示される。それは偶然ではない。
この映画の核にはアリス・ギイの後を継いでゴーモン社の製作総責任者となったルイ・フイヤードの撮った「吸血ギャング団」1915-1916がある。このルイ・アラゴンとアンドレ・ブルトンが絶賛した連続活劇はアメリカでの連続映画の大成功を受けてフランスで製作されている。連続映画にアメリカが夢中になり、その影響を受けてフランスも夢中になったのだ。
アメリカで大成功を収めた連続映画「ポーリン」1914はゴーモン社のライヴァル会社パテ社によって製作されている。「ポーリン」で主演したのは、パール・ホワイトだ。かの淀川長治の少年の頃のあだ名がパール・ホワイトだったと言えばアメリカの連続映画がいかに当時の人々を熱狂させたか分かってもらえるだろう。「吸血ギャング団」の向こうにはアメリカがある。
人々はパール・ホワイトを速い真珠と呼んだ。ルイ・アラゴンが言うようにそう呼ぶことによって人々は画面の中のパール・ホワイトの迅速なエネルギーと豊かな美しさにオマージュを捧げたのだ。
オリヴィエ・アサヤスは「吸血ギャング団」のスター、ミュジドラに「ルイの編集した」フィルムによって、当時の人々がパール・ホワイトにそうしたように、オマージュを捧げている。しかし反対の意味でだ。
アメリカ生れの連続映画はフランスにアメリカ趣味をもたらした。それはフランス映画の地位を覆した。マギー・チャンにインタヴューするジャーナリストのように当時のフランスの人々は自国のフランス映画を好意的でない偏見を持って批判したのだ。
「吸血ギャング団」はアメリカの連続映画を模倣しているように見えてそうではない。ミュジドラはこう語っている。
「知性的な人物フイヤードと仕事をすることで、私は身振りのための身振りという型を捨て、演劇の真実とは違う、生活の真実を追究しなければならないことにすぐに気がつきました」
オリヴィエ・アサヤスがオマージュを捧げるのはこう語るミュジドラに対してだ。「吸血ギャング団」はフランス映画の持つ最良の部分を受け継いでいる。
そうならば、この映画はあのジャーナリスト、そしてアメリカ映画に対するポップな挑戦状だろう。
1997/05/14