- 1954年東宝映画 6/19NFC
- 監督/脚本:本多猪四郎
- 特殊技術:圓谷英二 音楽:伊福部昭
- 出演:平田昭彦/志村喬/河内桃子
スクリーンに映し出されるゴジラを観ながら、ローランド・エメリッヒの『ゴジラ』がこの怪獣映画の古典に忠実なものであったことを再確認した。
エメリッヒ監督はこの映画に充分なる敬意を払っている。
- かなり大きな土地の窪みがアップで映し出され、その次にそれが生物の足跡であることが明らかにされるところ。
- 俯瞰のロング・ショット(エアリアル・ショット)で連続するゴジラの足跡が提示されるところ。
- ゴジラが水中生物から陸上生物への進化の途中にある生物であることを踏まえて、ゴジラを水中で自在に動かしたこと等。
またゴジラは海底深くにできた洞窟で生活圏を作っていたが、その生活圏を水爆実験によって破壊され、食料を求めて日本を目指すが、このエコロジカルな視点はそのままエメリッヒ監督の『ゴジラ』の基調となり受け継がれている。
とは言っても、エメリッヒ・ゴジラは怪獣映画ファンをかなり落胆させた。それは彼がゴジラを生物として解釈していたからだ。
ハリウッドでゴジラ映画を作るならどの監督が適任かという話題でアメリカの熱心な怪獣ファンと話したことがある。ティム・バートンということで一致した。オリジナル・ゴジラには異端の悲しみがあり、そしてそれこそはティム・バートン映画のテーマだからだ。
この映画のもう一人の主人公と言ってもいい芹沢博士は、片目を失うことによって、婚約者も失っているが、それは象徴的だ。婚約者の恵美子は、誰からも愛され、生きることを楽しんでいる。言ってみれば、彼女は「明るい世界」の住人の代表なのだ。芹沢博士は異形になることによって、「明るい世界」から締め出され、異端の者となる。
一方の主人公、ゴジラは水爆実験の被爆という形で、人間たちのパワーゲームの被害者であるにも拘わらず、異形であることによって、「明るい世界」から受け入れられないばかりか、抹殺されようとする。ゴジラが「明るい世界」で暴れるのは、怒りからよりも、悲しみからだ。しかし悲しみは理解されず、「明るい世界」は恐怖するだけだ。ゴジラは理解を望んでいるのに、それは決して与えられない。ゴジラは荒ぶる者となる。
芹沢博士がゴジラを死滅させることを選択するのは、同じ異形の者として、ゴジラの異端の悲しみが唯一理解できるからだ。異端の悲しみを終わらせるには、死しかない。
ラスト、同じ異形の者である、芹沢博士とゴジラは滅んでいく。
子供の頃、初めて『ゴジラ』を観た時、不思議な悲しみを感じた。それは子供が異端の悲しみを感じることができる存在だからだろう。そんなことも思った。
1999/06/19
